あの人は、こんなにも。
人の多いエントランスで、反射的にたった1人を見つけ出す。
そんな砂の中からたったひと粒の宝石を一瞬で探し出してしまうような行為も、自分にとっては未知のもので。
なんで、見つけてしまうんだろう。
なんで、視線が止まってしまうんだろう。
あの人が、周りの人と取り立てて違う箇所なんて、ないはずなのに。
そして、あの人が自分に気が付く。
片手を挙げて、笑いかけてくれる。……たったそれだけのことで。
心臓が強く脈打って。
身体中を走って行く熱を感じる。
……ああ、もしかして僕は。
心の中の何かが壊れてしまったのかな。
「……志水くん!」
笑顔で人込みを掻き分けて、まっすぐに志水の立ち尽くしていた場所まで彼女が走ってくる。
背中にかかる癖のある毛先が、彼女の軽い足取りに合わせて跳ねる。
……たったそれだけのことが、何だかとても。
とても……嬉しい。
「エントランスで会うのって珍しいよね。何かお買い物?」
志水の目の前に立ち、少しだけ目線を上げて尋ねた香穂子に、志水は小さく微笑んで首を横に振る。
「いえ……ただ、何となく、来てみたんです」
何となく。
ここに来ればいいんじゃないかと思った。
この人の姿を目にする為に。
……この人の日常と重なる、志水が踏み込める場所に。
そうなんだ、と深く疑問を持つこともなく納得して頷いた香穂子が、ふと何かを思い出したように、自分が抱えていた購買の無地の紙袋の中をがさがさと漁る。
何事かと首を傾げて香穂子の行動を見守る志水の目の前に、やがて香穂子が握った拳を突き出した。
「はい、これ。お裾分け」
目線促されて、志水は反射的に両手を差し出す。
香穂子が志水が差し出した両手の少し上方で、握り締めた掌を開く。ぱらぱらと降り積もるのは小さな飴。
「ねえ、志水くんは放課後どうしてるの?」
少し躊躇いがちに志水を見上げ、ついでみたいに、香穂子が尋ねる。
掌の上に降り積もった、香穂子が降らせた飴の雨に気をとられる志水が、半分意識しないままぽつんと答えた。
「チェロを弾いてます。……どこかで」
「うん、分かった。……探しに行くから、その『どこか』で待ってて。一緒に弾こう?」
「はい」
背後から香穂子を呼ぶ別の誰かの声。
振り返って「ハーイ」と応じて。そして香穂子は志水に向かってひらりと片手を振る。
「じゃあ、放課後。志水くん、また後でね」
「……はい。また後で」
答えて、香穂子の走り去っていく後ろ姿を見送りながら、志水は一連の香穂子との会話を脳内で繰り返す。
……ああ、飴のお礼を言わなきゃいけなかったとか、そんなことに今更気が付いて。
そして。
……そして。
(探しに行くから)
香穂子の残した言葉が1つ、鮮明に焼き付いて。
優しく甘く。……そして、切なく。
強く、志水の心を締め付けた。
取り立てて、何が他の誰かと違うとも言えないのに。
どうしてあの人の言動だけが、こんなにも。
自分の心の中を、言葉では説明出来ない感情で一杯にするんだろう。
あの人が残した、些細な一言で。
こんなに鼓動は早くなって。
頬が熱くなって。
心が浮き足立っている。
少しだけ足早に、予鈴の鳴り響く校舎内を、自分の暮らす教室へと志水は帰る。
早く、早く、放課後が来ないかと。
ただ、それだけを祈りながら。
心は貴女の事で埋め尽くされて。
貴女の一挙一動に、自分の全ての行動は支配されて。
それはどこまでも解き放たれることなく、足下に複雑に絡み付くようで。
志水という人間の奥深くに入り込んで、その全てに侵食する。
決して癒えることのない。
……もう、癒えなくてもいいと思えるそれは。
貴女という名の。
甘く切ない恋の病。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.12.10 加筆修正:10.6】
書こうかどうしようか悩んでいたところで、このお題は更新しないんですか?と問われ、取急ぎ書いてみたという記憶があるんですが……(汗)
取り急ぎというか、元々何となく芯が見えないぼんやりした話だったので、そのまんまぼんやり雰囲気で出来上がってしまったお話です。
個人的にはとある方の影響を受けたんだなというのがよく分かります(苦笑)


