困ったような表情の香穂子と、自分の机の上を滑らされたそれを見比べて、土浦はわずかに眉をひそめた。
「……何だ、これ?」
「土浦くん、今日が何の日か覚えてないの?」
真顔の香穂子が首を傾げて尋ねる。そうじゃねえだろ、と土浦が小さな溜息をついた。
今日は土浦の誕生日だ。
まず起き抜けに姉からプレゼントとともに自分の誕生日への……ホワイトデーでもないのに……三倍返しを要求されたし、両親や弟からもおめでとうの言葉を貰った。登校してからはクラスの連中やサッカー部の部員達にも祝福されたし、実はこっそり香穂子以外の女生徒からプレゼントも渡された。……もちろん、丁重にお断りしたけれど。
だが肝心の香穂子は、朝も一緒に登校していたのに全くそれを覚えている素振りを見せなかった。寂しく思いはしたものの、そういうものは自分から無理矢理に強請るものでもないからと、土浦は取り立てて自分からは何も言わなかったのだ。
綺麗にラッピングされていることから見ても、これは香穂子から土浦への誕生日ブレゼントなのだろう。彼女が誕生日を覚えていてくれたことは正直嬉しいし、プレゼントもありがたいとは思うのだけれど。
彼女の表情が、あまりにも冴えない。プレゼントがどうのよりも、むしろ土浦はそっちの方が気にかかる。
「……開けてもいいのか?」
目の前の、薄い物体を指差して土浦が尋ねる。香穂子がなんだか曖昧に「ああ、……うん」と頷いた。その態度を訝しみながらも、土浦は机の上のそれを手元に引き寄せて、できるだけ丁寧に包装紙を剥がす。
見た目からしても、感触からしても、品物は本だ。それは間違いない。
だが、いったい彼女が自分に何の本を贈るのかが想像出来ない。
かさかさと乾いた紙の音を立てながら土浦は包装紙を剥がして中身を取り出す。そしてその表紙を確認して、土浦は香穂子の複雑な表情の理由を理解した。
「……お前」
怒ってるのか、呆れてるのか分からないような複雑な声で土浦が呟く。
香穂子は取りあえず誤魔化すみたいに笑って、「……えへ?」と首を傾げてみた。
包装紙の下から表れたのは、薄い冊子だった。
カラフルな写真が満載の、レシピ本。
それは、まあいい。土浦が、料理が趣味だというのは、香穂子はよく知っているのだし。
ただし、それが「何の」レシピ本なのかが重要な点で。
「『美味しいシフォンケーキの作り方』……」
感情のこもらない、淡々とした声で、土浦が表紙に記された本のタイトルを読み上げる。
「あのね、紅茶味のシフォンケーキがすっごく美味しそうなの」
ぼそぼそと真剣な顔で香穂子が説明する。
……そう、どう見てもこれは「香穂子が食べたいもの」のレシピ本だった。
土浦があまり甘いものが好きではないことは、いつも「ケーキが食べたい」と言い出しては、無理矢理土浦を喫茶店に付き合わせる香穂子こそが、誰よりもよく知っているのだから。
「お前、俺の誕生日にかこつけて、自分の欲求を満たす気かよ?」
「だって、他に思い付かなかったんだもん。男の子にプレゼントあげるのなんて初めてで、一体何選んだらいいのか、全然分からないし」
机の縁に両手を引っ掛けてしゃがみ込み、身を縮めた香穂子が、申し訳なさそうに弁解する。
そんな彼女の態度を見て、馬鹿にされたのかと怒りかけていた土浦の感情がふと真逆へとベクトルを向ける。……そういえば、少し前に聞かれはしたのだ。「誕生日に何が欲しい?」と。特に思い付かなくて、つい「何でもいい」と答えてしまった。それは多分、彼女が一番困る答えだったのに。
彼女は彼女なりに一生懸命考え抜いて、そうして土浦のために選んだのがこれなのだ。……どういう思考回路からこういう結論が導き出されたのかは、いまいち理解に苦しむが。
「……まあ、別に欲しいもんがあったわけじゃないから、何でもいいんだが……」
ぱらぱらと頁をめくりつつ、土浦がぽつりと呟く。
……一応予測はしていたものの、土浦を喜ばせてあげられない現実に、香穂子は肩を落とす。
一応香穂子なりに、いろいろ考えた結論がこれなのだけれど。
「……あの、ね。私の誕生日が来年になってからなの。私、早生まれだから」
言い訳の続きみたいに、ぽつぽつと香穂子が呟く。ちらりと視線を上げ、土浦は紙面と香穂子の俯いた顔を見比べながら、その懺悔を聞いている。
「だからね。土浦くんに、来年の私の誕生日に、このシフォンケーキ、作ってもらおうかなって思ったの。……勝手なんだけど、私がこんなにプレゼント選ぶのに悩んだから、土浦くんもそうなるかもって。……だから、初めから私が貰いたいもの、決めておこうと思って」
意外な言葉にぱちと一つ瞬いて土浦は思わず顔を上げた。
傍らにしゃがみ込んで、俯いたままの香穂子を見る。
……話は、土浦の思いも寄らないところに向かい始めた。
「それにね。来年の誕生日に、これを作ってくれるって、約束してくれたら。……土浦くんは、絶対約束とか破らない人だと思うから。……最悪でも、来年の誕生日までは一緒にいてくれるかなあって。そう思って……」
今度こそ。
土浦は思いきり言うべき言葉を見失った。
彼女の思考はある意味自分勝手で、やはり他人から見れば突飛過ぎるものなのかもしれない。
だけど、それは彼女の願いから生まれるものだ。
来年の彼女の誕生日まで、自分と彼女との関係を、変わらず繋ぎ続けていたいと。
……おそらく、土浦が持つ彼女への想いと、同じ根源から。
馬鹿みたいに思える、他愛無い約束事でいいから、この幸福な現状が続いていく、その保証にしたいと願うもの。
「……馬鹿」
ぱたんと本を閉じ、土浦は遠慮のない力で、香穂子の頭をその本でぱしんと叩く。
思わず片手で頭を押さえた香穂子が、恐る恐る顔を上げた。
そして、その目線の先にある、土浦の優しい微笑みに触れて。
気がゆるんだように、ふわりと淡い涙を浮かべた。
土浦はふと視線を反らし、そんな彼女の涙を見ない振りをした。
「香穂、お前今週末空いてるか?」
「あ、うん。大丈夫だけど……何で?」
ごしごし、と両手で浮かんだ涙を拭いながら、香穂子が尋ね返す。決まってるだろ、と土浦は笑った。
「お前、プレゼントがこれだけで足りると思ってんのかよ。お前が選べないっつーんなら、俺の方からプレゼントの不足分を要求してやる」
「ええ!?」
何をやらされるか分からない香穂子が、涙を引っ込めて反射的に立ち上がる。そんな彼女の反応を楽しそうに眺め、土浦は机に頬杖をついたまま、立ち上がった香穂子を上目遣いに眺める。
「……別に、お前の誕生日まで待つ必要ねえだろ。週末、作ってやるよ。この中の香穂が食いたいヤツ」
意外な申し出に、香穂子は目を丸くする。
しばらくの間ぽかんと呆気にとられ、それから我に返って、慌てて身を乗り出して土浦の顔を覗き込む。
「いやいや、ちょっと待って! それじゃ土浦くんへのプレゼントにならないんじゃないの……?」
こういうプレゼントを用意しておいて、今更何を言う、と内心苦笑しながら、土浦は答える。
「いいんだよ。それが、俺の欲しいものなんだからさ」
永遠の保証なんてない、人の心と心。
遠い約束を繋ぎ続けていなければ、いつこの関係が切れてしまうのだろうと、土浦だって香穂子だって、いつも不安の中にいる。
それでも、この大切な関係を続けて行くために繋ぐ約束が、遠いものである必要は全然ないのだと土浦は思う。
遠い未来の大層な約束でなくていい。
数日後の他愛無い約束でいい。
それを小刻みに何度も連ならせれば、きっとその鎖はどこまでも未来へと繋がっていく。
彼女が願う地点の、そのずっと遥か先まで。
(だから、俺の欲しいものをお前が与えてくれよ)
それは、形のある物でなくていい。
目に見えなくても、触れられなくても構わない。
確かに土浦が彼女の為にケーキを焼くことは、香穂子からのプレゼントだとは言えない。
だけどきっと土浦が香穂子の望みを叶えれば、彼女は笑ってくれるだろう。
土浦の作ったものを、美味しいと喜びながら。
彼女が一番幸せな時に見せる笑顔で。
幸せな笑顔のまま、彼女が一日、自分の側で過ごす。
そのことが彼女から与えられるものの中で、一番土浦が嬉しいと思えるもの。
そして、そんな些細な幸福を繰り返し連ねて、繋いでいくことこそが。
ずっと遥か遠い先の未来まで。
自分達の幸福を連鎖させるための糧になる。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:07.7.14 加筆修正:10.6】
貰うよりも与える方がらしいという気がする、土浦の誕生日創作。
これ、私的に物凄くやってもらいたいんですけど!(笑)レシピ本あげるから、作って欲しい!……と、当時周りの友人からも絶賛された覚えがある(笑)


