098.一途な想い

土浦×日野

このお話は、いわゆる「初めてのお泊まり」な内容ではありますが、当然のことながら、高校生同士のそういう関係を推奨するためのお話ではありません。
直接的な描写がある作品ではありませんが、行為を連想させる文章はありますので、虚構の物語と現実を、きちんと区別出来る方のみ、以下を閲覧していただきますよう、お願い致します。
この作品を読んだことにより、何か問題が発生しても責任は負いかねますので、自己判断の上、先へお進み下さい。
また、この話の前の話を読みたい方は「過去創作置き場」の「HappyBirthdayに10のお題」内にある土浦創作をお読みください。
注意書きを御理解下さった方は、↓へスクロールしてください。











 俺の家でいいか、と土浦が問いかけた。
 家族の人は?と尋ね返すと、昨日から母親の仕事の用事で家族皆が出かけていて、土浦の姉も出張中なのだという。
(ああ、だから24日か25日の予定を聞いてたんだ)
 土浦が自分を誘ってくれた時の会話を香穂子は思い出す。それと同時に、また土浦に申し訳なく思った。
(本当に土浦くんは、始めからそのつもりだったんだ……)
 きっと土浦も、言い出すのにとても勇気が必要なことだったのに、香穂子が幼いから、土浦の気持ちを察してあげられなかったのだ。
 香穂子が落ち込んで項垂れていると、ぽん、といつものように土浦の片手が香穂子の頭に乗る。
「こら、下向くな。……どうせ、余計なこと考えてんだろ?」
「余計って……」
「余計だろ? ……あのなあ、いちいち言いたかないが、俺は完璧に諦めてたんだぜ。やっぱりお前の気持ちは、俺みたいにはなっちゃいないって」
 無邪気で屈託がないのは彼女の長所だ。その彼女に『女』を見るのは、彼女を好きになった土浦の都合でしかない。
「……それを、お前がいいって言っちまったんだ。それが、俺にとってどれだけ嬉しいことだったかとか、お前そこらへん全然考えてねえだろ」
 怒ったような口調で言った土浦が、ふい、と視線を反らす。呆気に取られてそんな彼を見つめていると、その精悍な頬が朱に染まる。香穂子は何となく、そんな土浦を可愛いと思ってしまった。
「……そっか、嬉しいのか……」
「……ったりまえだろ」
「そっか……」
 かつん、というサンダルの甲高い靴音と、スニーカーの微かな足音。バランス悪く不規則に響く二人だけの足音と小さな会話とを、夜の更けた静かな街並が呑み込んだ。



 コンビニで洗面用具等の最小限必要なものを選んで籠に入れると「精算してやるから」と、土浦に雑誌のコーナーに追いやられた。夜も遅いのに、レジには数人の客が並んでいた。その列の一番後ろに土浦が並ぶのを見届けて、香穂子は時間潰しのためにファッション雑誌を手に取った。
(飲み物買ったし、朝ごはんは土浦くんが作ってくれるって言うし。歯ブラシと、旅行用のコスメと……)
 買い逃したものがないか、脳内で確認する。開いた雑誌の華やかな写真の紙面は、頭の中には入ってこない。
(着替えは貸してくれるって言ってたし、昼まで土浦くんちにいれるなら、洗濯機と乾燥機は使っていいって言ってたし……、あ、一応お姉ちゃんの留守電にメッセージ入れとかなきゃ)
 土浦宅に泊まるために必要な段取りを考えていて、香穂子は姉には連絡を入れておかなければならないことを思い出す。ぱたんと雑誌を閉じてレジの方を見ると、先程より短くはなっているものの土浦はまだ列に並んでいた。香穂子はバッグの中から取り出した携帯を掲げて、土浦を呼ぶ。香穂子に気付いた土浦に、唇だけで「電話、かけてくる」と告げると、土浦が頷いた。
 自動ドアを出て、生温い熱帯夜の風を頬に受けながら、香穂子は備え付けのゴミ箱の側で姉の携帯の短縮番号を呼び出す。数回の呼び出し音の後、案の定、電話は留守番電話サービスへと繋がった。
「お姉ちゃん? 香穂だけど。今日は、友達の家に泊まるから、明日の夕方くらいに家に帰る。……あんまり飲み過ぎて、後輩の人に迷惑かけないでよ」
 酒に弱い割に、飲み会の雰囲気が好きな姉は、しょっちゅう飲みに行っては酔いつぶれて、同行する会社の後輩達の家に一晩厄介になる。電話に出ないということは、やはりそういうことなのだろうから、多分今日は姉も家には帰らない。メッセージを姉がまともに聞くかどうかは謎だが、一応の体裁はこれで整え終えた。
「……お泊まり、か」
 ぱたんと通話の終わった携帯のフリップを閉じて、香穂子は溜息をつく。
 姉は、土浦の存在は知っているが、さすがに今日が土浦の誕生日だということまでは知らない。あまり物事に頓着しない姉の性格と普段の行動から考えて、ああ言っておけば、宿泊先がどこなのかまでは、姉は深く詮索はしないだろう。
(土浦くんの家に、お泊まり……)
 段取りが整ってくると、徐々に土浦と共に一夜を過ごすことが現実味を増してくる。
 香穂子は、何だか急に……怖くなってきた。
(何で、急に)
 携帯を握った指先が、急速に血の気をなくしていくようだ。冷える指先に反比例して、頭の芯はひどく熱くなっていくみたいで、ぼうっとなる。その温度差の激しさに、香穂子の手が震えた。

 土浦が好きだから。
 彼ならいいと、そう思ったことは本心のはずなのに。
(……怖いよ)

 この先の自分は、一体どうなるんだろう……?
 
「香穂」
「きゃあっ!」
 ぽんっと肩を叩かれ、香穂子は悲鳴を上げて振り返る。
 コンビニのビニール袋を片手に下げた土浦が、呆気にとられたように立ち尽くしていた。
「あ、土浦くん……」
「驚き過ぎだろ。……何か、考え事でもしてたか?」
「あ、うん。ちょっと……」
 苦笑する土浦に何もかも見透かされそうで、懸命に取り繕う香穂子が、視線を落としながら携帯をバッグの中に収める。
 土浦と繋いだ掌に滲む冷たい汗の意味に、土浦が気付かないことを祈った。



「ただいま」
 家の中には誰もいないはずだが、律儀にそう告げるのは土浦らしいと思った。暗がりの中、手探りで壁を探っていた土浦が、ぱちんと音を立てて明かりを付けた。
「俺の部屋、エアコンつけておくから、お前先にシャワー浴びて来いよ。汗かいてるだろ?」
「あ、うん。ありがとう」
 何だか香穂子の心を置き去りにして、全てが順調に進んでいく。気付いて欲しくはないのに、土浦がこの不安に気付いてくれないことが香穂子はもどかしい。浮かんだ気持ちは少しだけ怒りに似ていた。
 小さく溜息をつく香穂子にちらりと視線を向けると、土浦はそのまま自分のスニーカーを玄関に脱ぎ捨てた。
「シャワー浴びてさっぱりして。そして、部屋で飲み物でも飲んで少し落ち着いたら、さ」
 香穂子に背を向けて、室内に一歩を踏み込んだ土浦が、ふとまだ玄関先にいる香穂子を振り返る。……そして。
「お前は……もう、家に帰れ」
 優しく、ひどく落ちついた声音で、そう香穂子に告げた。
 思いがけない言葉に、香穂子はすぐに反応出来なかった。我に返った香穂子が慌てて土浦を見上げると、彼はもう階段を昇り終えて、自分の部屋のドアを開けたところで、香穂子を振り返ることもなくその奥へと消えた。
 一瞬、聞き間違いだったかと考えて。
 それでも、鮮明に耳の奥に焼き付いた土浦の言葉の形を確かめる。
(『家に帰れ』って……)
 確かに、土浦はそう言ったのだ。


 どうしていいのか分からないまま、勝手知ったる土浦の家の……とは言っても、香穂子は洗面台までしか借りたことはなかったのだが……浴室でシャワーを浴び終えてドアを開けると、いつの間にか着衣所にバスタオルと着替えがきちんと置いてあった。広げてみると、それは土浦のものらしい男物の大きなシャツだった。
 丁寧にタオルで髪を拭いて、シャツを羽織り、ボタンを止める。腕を上げてみるとやっぱり随分と袖が長くて、半袖のシャツなのに肘の先まで香穂子の腕を覆う。乾いた布地には、ほんのりと土浦の香りが残っていた。
(……土浦くん)
 先程の土浦の言葉の意味は、シャワーを浴び終わっても、分からないままだった。
 香穂子の決心を、あんなに喜んでくれていたのに、彼は急に何を思って、あんなことを言ったのだろう……。
 考えながら香穂子はそっと階段を昇り、土浦の部屋のドアをノックした。
 「入れよ」という土浦の応じる声を聞いてドアを開けると、買ってきた飲料水等を小さな丸テーブルの上に並べていた土浦がふと香穂子を振り返る。
 そして、ものすごい勢いで視線を反らした。
「わ、悪い……っ! ……そっか、俺のじゃ大きいよな。着替え、姉貴のを借りて、出してやればよかった」
 真っ赤になって、口元を押さえながら、香穂子と目を合わせない土浦が言った。
 土浦の大きいシャツ。襟口からは華奢な香穂子の鎖骨辺りが覗き、裾は膝上20センチくらいの位置で、すらりとした両脚が見えていた。
 いつもなら香穂子の方が自分の状況に恥じらうところだが、先程まで考えていたことが脳内を占めている香穂子は、それどころではない。
「……ねえ、土浦くん」
「何だよ」
「帰れって……どういうこと?」
 香穂子の問に、目を反らしたままの土浦の動きがぴたりと止まる。

 シャワーを浴びる間中、香穂子の脳内を占めていた疑問。
 香穂子は土浦を選んだのに。
 怖い、不安な気持ちを我慢してでも、土浦を選んだのに。
(もう土浦くんは、私がいらないの?)


「……香穂、お前さ。やっぱり怖いんだろ」
 ゆっくりと香穂子を振り返った土浦が、苦笑混じりにそう告げる。
「だけど、怖いのはいつでも一緒だって言ったよ」
「でも、お前はその怖さを受け入れてでも俺と……その……したい、だなんて、今は思わないだろ」
 香穂子が、一緒に過ごしてくれると言ってくれたことは、素直に嬉しかった。
 諦めかけていた彼女が、本当に今日、手に入るのだと、確かに心は浮かれもした。
 だけど土浦は、香穂子に我慢をさせたいわけじゃない。
 無理をしてまで、土浦の欲望に合わせて、不本意な行為を受け入れさせたいわけじゃないのだ。
「怖いのはいつでも同じ……それは、そうかもしれねえな。だけどお前が……怖くてもいいから、俺が欲しいって……俺と同じように、そう思ってくれなきゃ、意味がないんだ」
 本当は、土浦だって怖い。
 沢山の知識は頭の中にあっても、実際に好きな女を抱くことなんてこれが初めてなのだ。
 上手くしてやれないかもしれないし、きっとひどく痛い思いをさせてしまう。
 だからこそ、同じように彼女が自分を求めてくれるのでなければ。
 本当は、嫌だと思っているのに、土浦への気遣いだけでこんな行為を受け入れさせることは。
 ……強姦と、何も変わらない。

 すとん、と香穂子の両脚から力が抜けて、香穂子はその場に座り込んだ。
 土浦は座り込んだ香穂子に静かに歩み寄る。呆然とした表情の香穂子の耳元に、小さく囁いた。
「俺もシャワー浴びて来る。俺が戻ってくる前に、お前は着替えて家に帰れ。……送れなくて悪いけど、お前が走って帰ればそんなに遠い距離じゃないだろ?」
 香穂子の家までは、静かだが一軒家の多い住宅街だ。小さな悲鳴でも上がればすぐに誰かが飛び出してくるような場所だから、一人で帰らせることにそこまでの不安はない。

 今は、多分。
 香穂子は土浦の側にいる方が、よほど危険だ。

 自分のシャツの裾から覗く、すらりとした細い脚から目を反らして、土浦は香穂子の側をすり抜ける。
 香穂子が何を言うことも出来ないまま、土浦は階下へと降りていった。


 土浦の気配が遠ざかって、見慣れた部屋に香穂子だけが残される。
 エアコンの動く音だけが響く室内で、香穂子は床に座り込んだまま、ゆるゆると上げた両手で顔を覆った。
「……土浦くん」
 ……最初から、本当に全てが土浦に見透かされていた。
 香穂子の恐怖や、不安でさえも。

(嘘や、背伸びじゃなかった)
 本当に、覚悟を決めたはずだった。
 土浦が生まれたこの日に、土浦のものになる自分。
 あの時、土浦の本心を聞いて、本当にそれでいいと思ったはずなのに。
(だけど、まだ私にとっては、夢の中の出来事みたいだったの)
 香穂子の決心は漠然とし過ぎていた。
 土浦に抱かれる自分を、まだ現実のものとして受け止めていなかった。
 だから、状況が否応なくそれを現実のものに変えていってしまうことに、香穂子は取り残されてしまった。
 そんな香穂子の幼さが、また繰り返し土浦を傷付けていたのだ。
「ごめん……ごめんね、土浦くん」
 今はここにいない土浦に、香穂子は必死で詫びる。
(……だけど、貴方は私を責めない)
 嘘つきだって罵っても。
 香穂子の幼さなど知らない振りで、全てを奪ってしまっても、本当はよかったのに。
 土浦は、自分が傷付きながら、香穂子に逃げ出すチャンスを与えてしまう。
 ……土浦が、そういう人だから。

「……私、土浦くんが、好きだ」

 ぽつりと、たった今目が覚めたみたいに、香穂子が呟いた。
 座り込んだ床に両手をついて、涙に濡れた目を上げて。
 土浦のことを想った。

(あの人が、好きだ)

 そうだ、この気持ちに嘘はない。
 大丈夫。
 追いつける。
 ……あの人が、こんな私なんかに抱いてくれる強い想いに。

 だから迷わない。
 ……今度こそ。



 上半身裸のまま、首に引っ掛けたタオルで乱暴に濡れた髪を拭きながら、土浦は洗面所から踏み出した廊下で家の中の気配を探る。
「あれだけ言ったし……さすがに帰ったか」
 家の中はしんと静まり返っている。……だから、土浦の忠告通り、彼女は家に帰ったのだろう。
「……ま、こればっかりはしょーがねえよな」
 苦笑して自分に言い聞かせるように呟き、土浦は自室への階段を昇る。
 次に香穂子に逢う時が顔を合わせづらいが、土浦がこのことを話題に出さなければ、香穂子の方はそのうち気に止めなくなるだろう。
 もちろん、彼女の気持ちが自分の欲求に追い付いてこないという淋しさはあるが、だからといって彼女以外の人間を選ぶ気にはならない。……香穂子は、土浦の運命を変えた少女だから。
(……明日、メールしておくか)
 週明けに、課外授業のために登校する時には、いつもと同じ自分で迎えに行けるように。
 そう考えながら、土浦は自室のドアを開ける。
 
 ……開けて、顔を上げて室内を見て。
 思わず絶句して、息を呑んだ。

「あ、お、おかえり」
 部屋の中心に座り込んでいた香穂子が、くるりと土浦を振り返った。

「香、穂……なんで、お前……」
「なんでって……」
 土浦の部屋に置いてある時計を指先で示して、香穂子はふわりと笑う。
「今日が終わるのに、まだ2時間あるよ。今日一日、一緒にいるって言ったよね?」
「……っ、そうじゃなくて!」
「土浦くん」
 片手で額を押さえ、何かを言おうとした土浦の言葉を遮って、土浦の名を呼んだ香穂子のその声が、やけに落ち着いていて。
 今までと違う香穂子の様子に、驚いた土浦が顔を上げる。
 香穂子は、潤む目で真直ぐに土浦を見つめる。
「……私、土浦くんが好きなの」
「……香穂」
 呆然と香穂子を見つめる土浦に。
 香穂子は、ただ……笑った。
「土浦くんが好きなの。……それだけでよかったんだって、本当に、分かったの」

 求められるから。
 誕生日だから。……そんな理屈は関係がなくて。
 好きだから、繋がりたいのだと。
 そう、香穂子も望んでいいのだと。
 香穂子は、ようやく分かったのだ。

 ゆらりと数歩踏み出した土浦が、脱力するように香穂子の側に膝をつく。
 香穂子の頬に土浦の長い指先が触れ、上目遣いに香穂子が土浦を見上げると、切なげに眉を寄せる土浦が、まるで泣きそうな顔で……微笑った。
「……馬鹿」
 香穂子の身体に覆い被さるようにして、裸の胸の中に、土浦が香穂子を強く抱き締める。シャワーを浴びたばかりのほんのりと湿った熱い肌に、香穂子の頬が直に触れた。
「馬鹿……、何度も逃げるチャンス、与えてやっただろ!」
 怒っている口調なのに、低い声が優しく響く。小さく笑いながら、香穂子が土浦の背中に両腕を回す。
「土浦くんに、『馬鹿』って言われるの、好き」
 土浦ほど、優しく、暖かく。
 馬鹿という言葉を使う人を、香穂子は知らない。
「……好き」
「……馬鹿」
 笑い混じりに、土浦が呟く。
 身を起こして、彼女の顔を覗き込み、もう一度「馬鹿」と呟きながら。
 その言葉ごと、合わせた唇から、香穂子の唇の奥へ呑み込ませる。


 曲がりくねって、行く先を見失いかけた香穂子の想いは、再び原点へと戻る。
 そして、そんな一途な思いを重ね合う二人の夜は。

 今、ここから始まる。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:08.7.21 加筆修正:10.6】

ひたすらに土浦に「馬鹿」が言わせたかった話かも(笑)
お誕生日祝い創作からこの後の話に流れていくはずだったんですが、土浦と香穂ちゃんが過剰に回り道をしてくださったので(笑)ようやく裏頁へと続きます。今度こそ!(笑)
このCPでは私的に等身大の普通の高校生カップルを書くことを目標としてるんですが、さて、いかがなものか(笑)

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