ヘッドフォンだけは少し奮発した性能のいいものを使って、通学の徒然に、遥か遠く離れた場所から届いたヴァイオリンの音色を聴く。
長期の留学をすると聞かされた時、香穂子はまだ自分の想いに気付いていなかった。
皮肉にも、自覚したのは月森が自分の傍からいなくなってしまうと分かってからだ。
当たり前に傍にある彼のヴァイオリンの音色。それを簡単には聴けなくなってしまうのだと理解したら、彼自身を喪失することをも、自分にとってどれだけ辛いことになるのかを実感した。
それでも、その恋の痛みは。
彼が目の前からいなくなってしまうことで傷付いたとしても、それ以上に酷くなるはずのないものだから、いつかは小さなかさぶたになって、癒えてしまうはずのものだった。
……彼が、こんな自分に同じ想いを抱いてくれていなければ。
遠く離れていても。
この想いが続くうちは、お互いにお互いを好きでいようと約束をして。
あまり筆まめではない彼からの連絡は、数週間に一度の電話と、数日おきのメールだけ。
たったそれだけでも、新しい地で自分の音を探すために多忙であるはずの彼が、そこまで香穂子のために時間を割いてくれるだけで、充分に幸せなことだと香穂子は思っている。
……それでも、高校を卒業して。
新しい環境で新しく出来た友人たちが、自分達の恋の話を楽しそうに話している姿を眺めるのは、少しだけ、取り残されてしまったようで、寂しく思う時もあるのだけれど。
月森が留学して、もうすぐ二年。
連絡がなかなか思うように出来ないことを申し訳なく思っているのか、月森からは、電話よりももう少しだけ長い間隔で、数カ月に一度、彼のヴァイオリンの音色が香穂子に届く。
(……本当はね)
(逢えなくなったら、この想いは冷めてしまうんじゃないかって、不安だったよ)
例えば香穂子の想いは変わらなくても。
ヴァイオリンに没頭することで、月森がいつしか、故郷で待つ香穂子の存在を忘れてしまったら。
それは、とても辛くて。
引き裂かれるくらいに、痛いことだけれど。
それでも、その選択肢が彼のヴァイオリンのために選ばれるものであるなら。
……きっと、仕方のないことだと諦めはするのだろうけれど。
しかし、香穂子の不安をよそに、間隔こそ空きはすれ、月森は変わらないペースで必ず香穂子に便りを寄越してくれる。
メールの彼らしい、余計な装飾が一切ない、端的な文面と。
目の前にその存在があった頃よりも、少しだけトーンの低い、落ち着いた電話越しの声。
そして、新天地で沢山のものを吸収して、成長していく彼のヴァイオリンの音色。
秋の日没。
宵の闇、肌寒い帰り道。
古びたMDの粗い音であっても、魅力を損なうことなく鼓膜を震わせる、優しい……ただひたすらに優しい。
香穂子のための、甘い旋律。
(いつか、月森くんのことを、月の光みたいだって言ったことがあったね)
熱を持たない。
夜空に一人孤独に、それでも輝きを放つもの。
月森という人間は、いつだってそんなふうに。
香穂子にとって確かに自分を導いてくれる、光だった。
(……今でも、そう思うよ)
足を止めて。
頭上に輝く月を見上げ。
香穂子はその眩しさに目を細め、小さく笑む。
決して月森には届かない言葉を、心の中で、彼に告げる。
遠い遠い、香穂子がたどり着けない遥か彼方で。
たった一人で、闘って、生きている貴方には。
触れることは叶わない。
姿を見ることすら、ままならない。
それでも、遥か頭上高くの月が、迷いなく、その光でもって、私の足元を照らすように。
貴方が奏でる旋律が、今日の私を支えている。
彼方から届く、貴方という月の光。
その光に包まれて。
支えられ、……導かれて。
私は、私が生きる、私の為だけの道を。
今日も懸命に、歩き続けている。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.12.2】
オフライン本「解く、繋ぐ」の流れを継いでますが、2ベースで遠距離恋愛中ということをふまえていただければ、そちらを読んでいなくても分かる内容にはしているつもりです。
切ないけどほのぼの、とブログに掲載した時には自己評価していました。


