季節は穏やかに

月森×日野

 ここ最近の世の中は温暖化を謳われているから、現在自分達が体感している寒気は、自分達が知り得ない過去には、それほどの低温だとは認識されていなかったのかもしれない。
 確かに「凍えるほど寒い」と言い切れるのは、冬の間でも数えるほどしかないのかなと、改めて考えてみると、そう思う。どうしても記憶に焼き付いてしまうから、『寒い』という印象は残りがちだけれど。
 もう、年が明けてそれなりの時間が経過したこの時期も、まだ早朝は冷え込んだりしていても、陽射しがあれば心地よく感じることがあるし、道端の花の蕾も綻ぶ気配。
 確かに季節は穏やかに、誰もが待ちわびる春へと近付いているはずなのに、香穂子の心はちっとも浮つく気配がない。
 ……春は、花咲く季節であるのと同時に。
 香穂子が月森と、離れ離れにならなければならない季節だから。
 それは、逃れようもない事実だし、例えば何とかそれを回避してみたところで、月森にも香穂子にも、何ら意味のない選択なのだと分かっている。
 目先の幸せだけに囚われて、現時点で簡単に手に掴める幸せを望んでみても、将来的に考えてみれば、二人の中にはきっと大切なものは何も残らない。残るのはただ、安易に手軽な幸福に手を伸ばしてしまった、後悔だけだろう。
(結局、あんたたちが馬鹿がつくくらい真面目で、融通が効かないからそういうことになるのよ)
 親友の天羽は、そんなふうに自分達の選択を嘆くが、それはそれで、彼女なりの気遣いの表れであるのだから、香穂子は苦笑するだけに留めておく。もっと簡単に選べる道はあるはずなのに、と散々愚痴をこぼした挙げ句、「まあ、あんたたちが大丈夫って言うなら、私は何も言えないんだけどねえ」と、きちんと理解を示してくれる。
 ……そんな、二人の選択を支持する理解者も。
 これから長い期間、離れ離れの日々を過ごすことになる香穂子たちを支える礎になるのだろう。


「寒いねえ」
 身体を撫でていく冷たい風に身を震わせて、香穂子がぽつりと呟く。周りを取り巻く大気よりも温度の高い吐き出した呼吸が、白い色になってその在り処を誰の目にも明らかにする。
「……そうだな」
 香穂子の何気ない呟きに、真面目に応じた月森が、半身を翻して香穂子を見つめる。意志のある眼差に、香穂子がふと、歩み出す足を止めた。
「どうしたの?」
 尋ねた香穂子に、手袋をしたままの月森の片手が、そっと差し伸べられる。
 意味が分からなくて、香穂子はぱちぱちと瞬きをしながら、その差し伸べられた手と、月森の顔とを見比べた。
「……その。……手を繋がないか? 寒いんだろう?」
「えっ!」
 付き合い始めて約一ヶ月。幾ら身の丈に合ったスローペースの恋愛進行とはいえ、さすがに手を繋いだことがない、という訳ではないけれど。
 いつも、何気なく、何となく。自然な成り行きで手を繋いでいたから、改めて意向を尋ねられたことに驚いて、香穂子は大声を上げた。
「もちろん、嫌なら。無理強いをするつもりはない」
 妙なところで遠慮をする月森に、香穂子は慌ててぶんぶんと大きく首を横に振る。
 あまり人目のある場所で触れ合うことを好まない月森の気が変わらないうちにと、急いで月森の片手に、自分の手を乗せた。
「……そんなに急がなくても」
 柔らかく月森が苦笑して、ちょっと頬を赤く染めた香穂子が俯く。しっかりと香穂子の手を握り直した月森が、「行こうか」と香穂子を促した。


 もうすぐ訪れる、新しい花咲く季節。
 月森に出逢ってから、やがて一年が経とうとしている。

 彼に出逢ってからの一年は、何かと慌ただしかった。
 別に、彼が居たからの相乗効果と言うわけではなく、月森との出逢いのきっかけがそもそも学内音楽コンクールという大舞台で。更にその後彼と深く関わることになった出来事全てが、当たり前の日常とは言えないくらいの、香穂子がこれまでに経験したことがない、起伏に飛んだ大きな出来事ばかりだったせいでもあるけれど。
 でも、そんな慌ただしい日々は、充実している反面、香穂子がゆっくりと噛み締める間もなく、あっという間に目の前を駆け抜けていった。
 でも今は、全てのことがとりあえず一段落して
 この先、オーケストラのコンサートなどの大きな一筋縄ではいかない行事が、やっぱり香穂子のことを待ち構えているのだけれど。
 それでも心情的には、あまり面倒なごたごたは起こるはずがない、ほんの少しだけ、安穏とした日々。
(だから、せめて今だけは)

 ただ、緩く手を繋ぐだけの。
 お互いの手袋越しに、遠いぬくもりを移し合うだけの。
 小さな、小さな幸せ。
 それでも、数週間後には。
 こんな小さな幸せすら、奪われてしまう。

 だからこそ。
 ゆっくり、ゆっくり。
 移り行く季節は、少しでも穏やかに。
 ただ、ひたすらにゆっくりと。
 新しい、旅立ちの春を迎えて欲しいけれど。
(それでも、着実に変わっていって)

 二人が離れ離れになるまでの、短い期間に。
 ほんの数日だけでいいから。
 暖かい春の陽射しの中で、二人で手を繋いで、歩けますように。

 手袋と手袋との隔たりを取り去って。
 お互いの持つ、本当のぬくもりを。
 触れ合う掌で、感じ取りながら。

 花、咲き綻ぶ、通い慣れた道を。
 優しい気持ちで、まっすぐに。
 肩を並べて、歩けるように。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.12.3】

2ベースで、恋愛関係を引き継いだ状態での2月頃のイメージで書いたもの。
ほのぼのちょい甘くらいを目指していたはずですが、時期が時期だけに切ない要素満載ですね。

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