違和感の正体は、瞬きをする間にすぐに判明する。上げた目線の先、門扉に寄りかかる精悍な制服の背中が、そこには見えなかったからだ。
(……何だか、不思議)
香穂子は思わず苦笑する。
学校というものに通い始めて、約10年。玄関を開けて、その視線の先に誰も待っていなかった期間の方が長く続いていたはずなのに、ほんの数カ月間繰り返して来た朝の光景が、いつの間にかそんな記憶を凌駕している。
……いつの間にか、そこに彼が待っている方が当たり前になっていたのだ。
寂しくないと言えば、きっと嘘になる。
彼がそこに待っていて、「おはよう」と声をかけてくれて……それが、日常の一部になってしまうほど……彼がいなくなってしまったことに、違和感を感じてしまうほど、自分達は濃密な二人の時間を過ごして来た。
彼が留学して数週間、メールや電話のやりとりは数回。それでもやはり、少しずつ彼が傍にいない事を実感して。何となくまだまだ夢見心地で、寂しい気持ちも漠然としているような感じだったけれど、今になって、何だか突然目が覚めたように実感してしまう。
彼は、もう傍にはいない。
一緒の高校生活を過ごす事は、もう、二度と……ない。
それは、彼が決めた道で。
香穂子も十二分に納得していたはずの事だ。
留学してから後、もちろん長期休暇の間も会えなくて、それが寂しくて。
『寂しい』ということは、きちんと理解をしていたつもりだったのに。
(こんなふうに、何度も何度も、思い知っていくんだろうな)
『寂しい』ということの意味。
彼が傍にはいないことの痛み。
理解していたつもりで、納得していたつもりでいたはずのことを、香穂子はこうして彼がいない現実を目の当たりにすることで、少しずつ『実感』していく。
強気で、大丈夫だと言えた、残される寂しさに。
こんなふうに、蝕まれていくのだと不安になる。
(……それでも)
……その寂しさに負けて、彼の歩みを止めていたら。
行かないでと。……傍にいてと我侭を言えたら。
香穂子は、幸せになれただろうか?
「そうじゃ、ないんだよね……」
誰もいない玄関の三和土で、香穂子はこっそりと呟いて苦笑する。
……そう。
どれだけ一人きりの寂しさを味わっても。
簡単に「大丈夫だ」と告げた事を後悔しても。
それでも、香穂子が選べる道は。
初めから、ただ一つしかない。
ヴァイオリンを弾く、彼が好きだ。
自分の選んだ道を、真摯に脇目も振らず、歩いていく彼が。
香穂子が、そんな彼に恋をした瞬間から。
香穂子が選べる選択肢なんて、初めから決まっていた。
「香穂子? まだ出ないの? いい加減に行かないと、遅刻するわよ」
家の奥から、いつまでも玄関先で動こうとしない香穂子の姿を見つけた母の、呆れたような声が響く。
はっと我に返って。
……現実に引き戻されて。
香穂子は、思い切って玄関から一歩を踏み出す。
「行って来ます!」
……踏み出した先に、願う姿はなくても。
香穂子を導いて、寄り添って一緒に歩いてくれる人は、そこで香穂子を待っていなくても。
その人は、香穂子がたどり着けない場所で。
それでもいつか、また同じ道を歩ける事を願いながら、真摯に夢を追い続けているのだから。
香穂子も一歩を踏み出す、香穂子しか行けない場所へ。
遠い場所で生きている彼と、同じ望みを抱いて。
一人きりの寂しさに、歩み出す足は躊躇して。
どうなるのか先行きの見えない未来に、心は不安になるけれど。
それでも、玄関から一歩。
希望に満ちた未来を始めるための、確実な一歩を踏み出そう。
その小さな一歩は。
もう一度彼と肩を並べて、同じ方角を見つめて歩いていくための。
……共に生きていく未来へと辿り着くための一歩になるはずだから。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:10.4.1】
ブログ創作は結構一発書きでやってましたので、自分が何を書いたか今回収納するにあたって読み返して、思い出すのも多かったんですけど、これは何か予想外のものに仕上がってました(笑)
何か、もっとほのぼの~っとしたものを想像してたんだけどなあ(笑)


