誰の真似でもなく

月森×日野

 まだ真夏になり切れない季節の木陰は意外に過ごしやすくて、ここ最近の月森と香穂子の昼食は、森の広場の片隅と相場が決まっている。
 屋外での昼食と言うことで、香穂子が二人分の弁当を作ってくることが増えた。たまには購買でサンドイッチや惣菜パンなどを買い込んでも構わないと月森は言うのだが、せっかく二人で気持ちのいい場所で食べるのだからと、香穂子はここ最近、連日月森の為に弁当を作ってくる。特に変わった食材が入っているわけではなく、味も到って平凡だと香穂子は恐縮するが、そもそも月森は両親の仕事柄、確かに上質のレストランに出入りして舌が肥えてはいるものの、逆に香穂子が作るような一般の家庭料理的なものに馴染みが薄い。手作りのお弁当というのにもあまりお目にかかったことはないし、何よりも香穂子が自分の為に貴重な時間を割いて弁当を用意してくれるというのは、とても嬉しいことではあるのだけれど。
(無理をさせているのではないだろうか……)
 いつものように森の広場の片隅、定位置の木陰のベンチで香穂子の弁当に舌鼓を打ちながら、月森はふと思う。
 香穂子が手作りの弁当を持参し始めたのは、付き合い始めてすぐの頃に初めて二人で森の広場で昼食を共にした時、自分たちではない別の恋人同士たちが、仲良く大きな弁当を二人でつついているのを遠目に眺め、「……ああいう昼食も悪くないんだろうな」と月森が何気なく呟いてから。
「若干手抜きくさいと思うけど、私が作るものでいいなら」と屈託なく笑った香穂子が、翌日から二人分の弁当を作ってくるようになったのだ。

「……何か、美味しくないのがあった?」
 一人思い悩んでいると、月森の陰った表情をそんなふうに解釈した香穂子が、月森を覗き込むようにして恐る恐る尋ねてくる。不安そうな香穂子の表情に、月森は慌てて首を横に振る。
「いや、とても美味しい」
「じゃあ、何か嫌いなものでもあった? 一応味付けは、月森くんの苦手なものにならないように気を付けてるつもりなんだけど」
 食事は割に頻繁に共にしているから、レストランや喫茶店で月森が選ぶメニューから、嗜好の傾向は学んでいる。どうしても判断出来ないものは事前に確認をするし、少なくとも月森が眉をひそめるような出来にはなっていないはずなのだが。
「弁当がどう、という訳ではなくて……。俺はこうして君が作ってきてくれる弁当を食べることができるのは、とても嬉しいんだが……。その、……君に、余計な負担をかけているのではないかと」
 これだけの量の料理を作るのには、それなりに時間や労力がかかるだろう。料理経験のない月森には、香穂子にとってそれがどれだけの負担になるのかは判断がつかないが、それでも今まではしなくてよかったことをしなければならないというのは、少なからず彼女の生活に影響を与えているはずだ。
 彼女のヴァイオリンを、決して付け焼き刃の、趣味で終わる範囲のものだとは、月森は思わない。月森自身が、生活の中でどれだけの割合をヴァイオリンに割かなければならないかを知っているからこそ、自分の為に香穂子に余計な負担を与えているかもしれない現状は、彼女に申し訳なく思うのだ。
 ……月森が、彼女が与えてくれるものをこれ以上にないくらいに喜んでいるからこそ。
 あの日、月森があの何気ない言葉を呟かなければ。
 遠目に見えた幸せそうな二人を羨まなければ。
 こんなふうに彼女に負担をかけることはなかったのではないかと。

「……月森くんって、意外に気苦労しそうだよねえ」
 他人には関心がなさそうに見えるのにね、と香穂子は苦笑する。
 多分、その香穂子の指摘はあながち間違いではないだろう。
 月森は、自分以外の人間が織り成す何かに、特別な興味は抱かない。自分の事だけで精一杯で生きているのに、他人のことまで気にかけている余裕も器用さも持ち合わせていないからだ。
 だが、香穂子のことだから。
 誰よりも愛おしい彼女の事だから、月森は気にかかる。
「お弁当作るのはね、別に月森くんに言われたからって訳じゃ……っていうか、月森くんが言ってくれたから、『そういうことも出来るなあ』って思い付いただけで、あの人達の真似してるわけじゃなくて……」
 上手く言えないけど、と。
 ベンチに座って、両膝をきちんと揃えて。
 空を見据える香穂子が、懸命に自分の心の中にある言葉を探す。
「結局、お弁当作るのだって自分のスキルアップになるし、そもそも月森くんが思うほど大変なことしてるわけじゃないよ。夕飯の残りとか平気で詰め込んでるし、夜に下準備とかしておくから、特別早起きするわけじゃないし。でも確かにちょっとだけ生活スタイルが変わってきたから、それを苦労とか負担とか言うなら、確かにそうなのかもしれないけど」
 そこまで一息で言い切って、香穂子は月森を見る。
 いつもの彼女の、屈託のない笑顔で、月森に笑いかける。
「それでも、月森くんが『美味しい』って喜んでくれたら、それだけで苦労したこととか全部吹っ飛んじゃうよ。私はただ、月森くんの喜んだ顔が見たくて、勝手に私が出来ることをしてるだけなんだ」

 誰の真似でもなく。
 誰の為でもなく。
 香穂子が月森のために出来ることを、自分で選んで、手に取って。
 そうして、香穂子自身の幸せの為に実行しているだけ。
 ……ただ、それだけの話。

「月森くんが、こういうの重くてウザいっていうなら考えるけど?」
 悪戯っぽく笑う香穂子が、伺うように月森を見る。苦笑した月森が、小さな溜息をついた。
「……俺がそんなことを言うわけがないと、知っているクセに」
「うん、そういうとこは私も相当自惚れてるんだよね」
 頑なで、自分のガードをなかなか崩すことのない月森が、周りの人間に理解されにくい人間であることを、香穂子は知っている。
 だけど、彼と知り合って、そのヴァイオリンの音色に惹かれて。
 そうして彼が張り巡らせていた、彼の心の周りの有刺鉄線を、根気良く解いて月森という人間を理解した香穂子には、今ではもう、彼が何を望んで、何を憂うのか。
 何となくだけれど、それなりに感じ取ることが出来るのだ。

「だから、私は私の為に、私だけのやり方で月森くんが喜びそうなことをいろいろとやるんだけど。……でもね、月森くん。これだけは肝に命じてね」
 人指し指を立てて、月森にしっかりと言い聞かせるように。
 真面目な顔で、香穂子が月森の顔を覗き込む。

「……月森くんのためじゃなかったら。私、絶対ここまで頑張ったりはしないんだからね」

 自分だけの為ならば、きっと香穂子はすぐに頑張ることに飽きる。
 頑張ることの代償が、月森を喜ばせるための事だから。
 ……誰よりも愛おしい月森を、幸せにするための事だから。
 だからこそ、香穂子も頑張れる。


 至近距離で香穂子の顔を見つめ、月森は驚きで目を丸くする。
 香穂子がじいっとその目の中を覗き込んでいると、ややして月森が、少しだけ困ったように笑って、その目を柔らかく細める。
「……殺し文句だな」
「えへへ」
 期待通りの言葉を引き出した香穂子が、嬉しそうに笑う。

 そんな彼女に、月森は。
 きっと、彼女が期待していたものよりも。
 ずっと甘く。
 そして、深い。
 優しいキスを。


 誰の為でもなく。
 誰の真似でもなく。
 月森と香穂子は、自分たちのやり方で。
 手探りで、お互いを幸せにするための方法を模索する。
 それは巡り巡って、結局在り来たりな、凡百陳腐な方法にしか辿り着けないのかもしれないけれど。
 それでも、二人が幸せを実感するのなら。
 きっと一番正しい形。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:10.5.1】

最初、「誰のためでもなく」と勘違いしてたんですよね、このお題。
思いついちゃったから、何とかお題に合うようにこじつけてみちゃいましたけど(笑)、まあええ感じにほの甘くなったんじゃないかと思いますので良しとしよう。

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