そんな自分の不器用さが、大切な人を傷つけることになるなんて。
これまでは、知らなかったんだ。
彼女は、変わらない。変わったのは月森の方だ。
根本的な何かを変えてしまったわけではないけれど、自分の気持ちすら分からずに、彼女の奔放さに振り回されてばかりいた頃と今では、自分の気持ちに気付いた分、少しだけ状況が変わってしまったから。
……自分の気持ちに気付く前は、彼女にただ振り回されていれば良かった。
どうして彼女を退けられないのか、どうして彼女の言動には流されてしまうのか、自分でも理由が分からないのだから、もう流されるしかない。
でも、今ではもうその理由が分かる。……そう、月森は分かってしまった。
彼女の自由奔放さ、その真直ぐな素直さに、月森は惹かれていた。
偉大な家族の栄光に縛られ、自分の弱さや不器用さを誰にも悟らせないために身に付けた頑なな性格の自分が持っていない、強く優しく、……そしてどこか心地よい性質を持つ彼女のことを、心の奥底でずっと好ましく思っていた。
だから、彼女を拒めなかった。愛想がなくても、邪険にあしらっても、懲りずに月森に関わって、そして否応なく自分のペースに巻き込んでいく彼女を。
……そんなふうに、自分と深く関わろうと努力してくれる人間に、これまで出逢ったことがなかったから、余計に彼女のことが大切に想えた。
独りでいい。恋人も……友人と呼べるものですら、必要がないと思い込んでいた自分に、誰かと一緒にいることの幸せを教えてくれた人。面倒だ、煩わしいともっともらしい理由を付けて、それを手に入れることを放棄していた自分に、それではいけないと身を持って教えてくれた人。
……日野香穂子のことを、好きだと想う。
その気持ちに変わりはなくて、気付いてしまった以上、その想いを今更なかったことにもできない。
だけどその想いを伝えることも、今の月森には出来ない。
月森は、もうすぐ彼女の側を離れてしまうから。
……遠い場所に、旅立ってしまうのだから。
彼女の事を好きだと気付いて、初めての恋に戸惑う自分は、随分と彼女を簡単に受け入れてしまっていた。
何気ない会話を交わすことに慣れ、ヴァイオリンの練習を口実に、側にいることに慣れ。そうして二人で過ごす時間が心地よくなっていくのに比例して。
……確実に訪れる別れの瞬間のことを思うようになる。
(……確か、今年一杯だって言ってたよね)
何気なく呟かれた、彼女の言葉。
ヴァイオリンを弾く手を止めて、いつも明るい彼女が、どこか寂しげに微笑んで。
(月森くんが行っちゃう時までは、ヴァイオリン、聴かせてね。きっと迷惑なんだろうなって、分かってるんだけど……)
迷惑だなんて、思ったことはない。
彼女の奥底にあるものが、ただの尊敬の気持ちだけなのだとしても、傍にいることを望んでくれることが嬉しい。
……だけど、ならば自分がいなくなってしまった後は?
一緒にいる今を心地よく思えば思うほど。
自分がいなくなってしまった後、彼女は苦しむのではないのだろうか。
……そんなことを思い付いて、月森はその日を境に、香穂子から距離を置くようになった。わざと突き放す言動で、冷たい態度で。……出逢う前の、何の関係もなかった頃と同じように。
月森の態度に、やはり彼女は傷付いて。
それでも雰囲気が柔らかくなった時の月森のことも、もう知っている彼女だから、相変わらずめげずに、月森と関わろうと努力してくれているのも分かるのだけれど。
人付き合いに不器用な月森は、それ以上彼女の為にしてやれることが思い浮かばなくて。
ただ、彼女を遠ざける。
自分がいなくなった後に、彼女が寂しくならないよう。
……それ以上、苦しんだり哀しんだりはしないよう。
だけど、そんな彼女への気遣いは。
本当は、巡り巡って自分の辛さを誤魔化すためのものなのだと、月森は知っていた。
(……辛いのは、きっと俺の方だ)
彼女の想いは、月森が彼女へと抱くものとは違うものなのだろう。
月森のヴァイオリンが好きだから。その『音色』が好きだから、彼女は月森と関わろうとしてくれる。
だが月森の方は、決して彼女のヴァイオリンだけに惹かれているわけじゃない。
留学してしまえば、しばらくの間、彼女とは逢えなくなる。
奔放な言動も、真直ぐな笑顔も。
月森くん、と気負いなく呼んでくれるあの柔らかな声も、聴くことが出来なくなる。
その喪失に胸を痛めるのは。
……彼女と言う存在を失う寂しさに苦しむのは。
きっと、彼女に恋をする月森の方なのだ。
今まで経験したことがない、そんな恋の苦しみに傷付くことが怖くて。
彼女の為と言う建て前の裏側で、月森の方がこれ以上彼女と関わることを避けている。
恋と言うものを知らなければ、どれほど楽だっただろうと思う。
彼女と出逢わなければ、もっと晴れやかな気持ちで新天地に赴くことが出来ただろう。
だが、月森は知っている。
……きっと、彼女に出逢っていなければ。
彼女に出逢うことで得た、たくさんの感情や出来事を知らないままだったら。
たとえ留学しても、自分のヴァイオリンはどこかで必ず壁にぶつかっていただろう。
彼女との出逢いが、今まで月森が不要だと自分勝手に切り捨てていたものを拾い上げる勇気をくれたから。
いつしか直視することを避けていた月森がヴァイオリンを弾く理由を、見つめ直すきっかけをくれたから。
今の月森が、ここにある。
(……そうだな、本当は俺も、分かっているんだ)
堂々巡りを繰り返す思考。
出逢わなければよかった。親しくならなければよかった。
……好きにならなければよかったと、そんな想いを何度も何度も浮かべては殺して。
それでも、彼女との出逢いで得たものが、多大であればあるほど。
結局は、彼女との出逢いも、恋に落ちたことすらも、全ては必然だったと思わずにはいられない。
いつかは離れ離れになると分かっていても。
例えば、彼女が月森のことを嫌悪していたとしても。
彼女が、今の彼女らしく素直に真直ぐ生きていてくれるのであれば。
どうせ、月森は彼女を愛してしまう。
(それが『恋』というものなのだろう?)
偉大な先人達が、新たな音楽を生み出すほどに。
感情を揺さぶられるのが『恋』というものであるのなら。
彼女に出逢ったその瞬間から。
月森にはきっと、逃れる術などなかったのだ。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:10.6.26】
漫画版を意識した話になってます。障害があろうがなかろうが好きになるときにはなる!って話を目指したんですが……ねえ?(聞かれても)
思い入れは強いお題だっただけに(理由は推して知るべし)もうちょっと掘り下げようはあったかなと軽く後悔。


