「つまり、蓮の『逢いたい人』には無事に逢えたということかな?」
冗談めかしてそう尋ねると、月森はわずかに目を見開きミュラーを振り返る。そのまま言葉を発することもなく、また視線は楽譜へと戻ってしまったが、自分の指摘があながち的外れではないことをミュラーは直感した。月森の傍の空いている椅子に逆向きに腰かけ、その背もたれに両腕を乗せて、長時間に渡って詳細を聞き出す構えを見せる。
「女の子なんだろ? 蓮にそういう相手がいるとは思わなかったなあ。……音楽をやっているのか? 楽器は何を?」
矢継ぎ早に尋ねると、月森が明らかに不快そうな表情で構えていたヴァイオリンを下す。膝の上にヴァイオリンを置き、改めてミュラーに向き直り……やがて諦めたように小さな溜息を付いた。
「……俺と同じ、ヴァイオリンだ」
否定することも誤魔化すこともせず、あっさりと月森は白状した。
こうもあからさまに「意地でも聞き出すぞ!」という態度を見せられると、話術に長けていない自分が上手く逃れられないことも分かっているし、その場しのぎの適当な嘘を並べてみても、聡いミュラー相手では看破されることも分かっている。
ならば、正直に彼の質問に答え、早々に解放される方が良策と踏んだのだ。
「へえ! 蓮のガールフレンドなら、相当実力のある子なんだろうな。日本にいる間に紹介してくれればよかったのに。是非聴いてみたかったな」
人物像よりもヴァイオリンの音色の方に興味を持つ辺りは、やはりミュラーも自分と同じヴァイオリンに人生を掛けた人間なんだろうと思う。……そう考えながら、月森は苦笑した。
「いや……君の興味に耐えうるようなものではないと思う。……未熟なんだ。いろいろなことが」
その月森の微笑に、ミュラーはおや、と首を傾げる。
穏やかで、柔らかな。この青年の人物像とは余り合致しない表情。
ミュラーは一度だけ、彼のこの表情を見たことがある。
「……なるほど」
一人納得したようにうなずくミュラーに、月森が怪訝そうな表情をした。
「つまり、その子が『アヴェ・マリア』が好きな子だな?」
びし、と指を突きつけミュラーが指摘すると、月森の精悍な頬が微かに朱に染まる。
月森は居心地が悪そうに視線を反らしたが、その態度そのものがミュラーの発言を肯定していることを表わしていた。
「で、残念なことに遠距離恋愛中なわけだ。……そのうち、彼女の方もこっちに留学してきたりなんかは……」
「ないだろうな」
意外なほどきっぱりと、月森が否定する。不思議そうに首を傾げたミュラーに月森は苦笑する。
「……おそらく、そんなことを考える余裕は彼女にはないはずだ。どうやってこの先ヴァイオリンを続けていくか、それすらも見えてない状態だから」
へえ、とミュラーが答え、それから彼は、何かを思い悩むように空の一点を見据え、黙り込む。何事かと月森が見守る中、少しだけ言いにくそうに、ミュラーが口を開く。
「蓮。……それって、お前がつらくなったりはしないのか?」
「え?」
「だって、彼女がいつかこっちに来るって保証があるわけじゃないんだろ? それなりに機会があるにはあっても、しょっちゅう日本に戻れるわけでもない。逢いたい時に逢えないし、抱きしめたりキスしたり……そう簡単にできないわけだし」
……もうちょっと突っ込んだことを言ってもよかったのだが、月森の性格上、この辺りが限界だろうとミュラーは言葉を止める。案の定、また月森の頬が赤く染まった。
「そうやって放っておくと、お前は大丈夫でも彼女の方が心変わりする、なんてこともあり得なくはないんだからさあ。……彼女の進路がまだちゃんと決まっていないなら、やっぱり彼女もこっちに来ることを考えてもらった方がいいんじゃないか?」
ミュラーの言葉を飲み込むように、月森はしばらく黙り込む。両腕の上に顎を乗せ、ミュラーは月森の言葉をしばらくの間じっと待った。
やがて、月森がぽつりと呟く。
「俺は……俺が、彼女に願うのは、たった一つの事だけなんだ」
本当は。
好きになった相手に好きになってもらって。その後に何が続いていくのか、月森には分からない。
ミュラーの言うとおり、抱きしめたり、キスをしたり。……それ以上のことを願う日だって、いつかは来るのかもしれない。
……そして、彼女に逢いたいと想うことは、確かにある。
逢えないことに寂しさを覚えることもある。
だけど今、月森が彼女に願うたった一つのことは。
「ただ、俺は。彼女にずっと俺と同じ道を歩いていて欲しい」
遅れてもいいから。
ゆっくりで、構わないから。
月森が歩くヴァイオリンに彩られた道程を、彼女にも歩いてきて欲しい。
躓いたり、転んだりしながらでも、同じ道をたどってきて欲しい。
そして、いつか。
……どんなに先の未来の話でもいいから。
月森の歩いていく道と彼女の歩いてきた道が、重なる日を願っている。
「……蓮」
どこか呆れたようにミュラーが月森を呼ぶ。
「その台詞……もしかして、彼女の方にも言ったりしたか?」
問われて、月森は躊躇なく頷く。
日本で、思うようにヴァイオリンが上達しなくて、月森に置いて行かれそうだと嘆いた彼女を励ます意味で、口にしたことがある。
たとえどんなに遠回りでも、君が俺を追って来てくれるのを待っている。
……いつか、未来で同じ道を歩けることを願っている、と。
「彼女、困ってただろう?」
「……そういえば。困っているというより、返事に迷っているような雰囲気ではあった」
月森がそう言った時、彼女は何故か急に真っ赤になって、ぱくぱくと口を動かした挙句、何故か諦めたように溜息を付き、「……まあ、月森くんだもんね」とよく分からない理屈で納得した後、「頑張るね」と笑ってくれた。
「……お前がそうだと、彼女の方が苦労しそうだから、一応忠告しておいてやるな」
その言葉が月森の偽りない本心で、それを誠実に、真正面から伝えたのであろうことは、容易に想像がつく。……仮にも、この一筋縄ではいかない頑なさを持つ人物を好きだと言える女性なのだから、彼女の方も月森の性質は充分に理解しているのだろうが。
「お前のその願い、深読みすればものすごい破壊力だから、そこはちゃんと理解していた方がいいぞ」
「……破壊力?」
訳が分からないというように、月森が眉間に皺を寄せ、首を傾げる。苦笑するミュラーが溜息混じりに告げた。
「まるで、将来を誓っているみたいに聞こえるだろう?」
想いを通わせて、その後に自分は何を願う?
触れることじゃなく、繋がることじゃなく。もっと簡単な、基本的なこと。
ただ、未来を望みたい。
ずっとずっと、同じ道を歩いていく未来。
それは、確かに。
未来永劫、途切れることのない絆を切望する。
ささやかで、そしてこれ以上にないほどに、贅沢な願い。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:11.9.19】
香穂子のいない月日話。カルテットのメンバーたちは、日本にいる時の月森に興味津々だろうなあとか思ったりします。
友達いたのかな?とかさ!(笑)


