呑み込んで消化不良

柚木×日野

 自分が見る事を許された、あの人の本当の顔は。
 きっと、他の誰も知らない表情だから。
 それだけで、ささやかな優越感は満たされる。
 ……そのはずだったのに。




 それは、いつもの光景。
 綺麗な笑顔を浮かべた柚木が、親衛隊の皆々様に取り囲まれている。
 香穂子は、ただ遠目にそれを見る。
 あの柚木の外側に構築された人垣の一部には、香穂子はなり得ない。

 香穂子は、柚木を取り巻く女の子達と同じように無邪気には。
 『あの』柚木に思慕は抱けないから。

 香穂子は知っている。
 『あの』柚木の姿が、彼が巧妙に、そして精巧に作り上げた美しい仮面であることを。
 柚木がその仮面の下に本心を隠し、少し離れた位置から自分の人生をまるで他人事のように眺めていることを。

 その本当の彼の心が、香穂子は哀しくて、寂しくて。
 ……愛おしくて。

 いつしか、外側の綺麗な仮面よりも、内側の汚れて傷付いたものを好きになった。
 他の誰も知らない、本当の『柚木梓馬』。
 だから、いつも綺麗に微笑んでいる柚木を取り囲む女の子たちの、その輪の中に入れなくても、香穂子はきっと寂しさなんて抱かないはずだった。
 本当の柚木先輩を知っているのは私だけなんだからって、言い聞かせて、一人で納得して、優越感に浸って。。
 苦いものを、平気な顔で呑み込めるはずだった。……のに。


(……どうしよう)
 遠い位置にいる柚木から視線を反らし、香穂子は足早にその場を後にする。さっさとこの場から逃げ出したかった。
 胸が痛んで、軋んで、悲鳴を上げたい。
 ……声を上げて泣きたい。

(欲しくなるよ、先輩)
 あの、穏やかな笑顔が。
 誰に対しても平等に優しい、完璧な優等生像が。
 偽物で、虚像で。
 中身のない、すかすかのものだって、ちゃんと香穂子は分かってるのに。

(どうしよう、先輩)

 もう、香穂子は。
 柚木のものであるならば、『それ』すらも、欲しい。


「……こら」
 背後から香穂子の制服の襟首に容赦なく指先が差し入れられ、掴んで引っ張った力が香穂子の早足を留まらせる。耳元で、叱る言葉を笑い混じりの声で囁かれた。
 ぐえ、と首が絞まって、一瞬息が止まって。
 そして、香穂子は苦しさのために浮かんだ涙をそのままに、くるりと後ろを振り返る。……浮かんだ涙の理由をわざわざ作ってくれたのだとは思わないけど、それは確かに香穂子には好都合だった。
「この俺に追いかけさせるとは、お前も随分生意気になったもんだな?」
 頬に降り落ちる長い髪を指先でかきあげながら、溜息混じりに柚木が言う。……わざわざあの人垣を抜けて、追いかけて来てくれたことは確かに嬉しいのに、先程胸の中にすとんと落ちてしまった苦い想いが、香穂子の口から本心と違う言葉を生み出す。柚木から視線を反らし、足元を見つめた香穂子が、吐き捨てるように言った。
「……追いかけて来てなんて、頼んでないじゃないですか……!」

 違う。
 こんなことを言いたいわけじゃないのに。
 ……きっと、簡単に抜け出せなんてしなかった。
 嘘なんていらないのに、離れる口実をでっち上げて。
 謝る必要なんてないのに、ごめんねとあの子達に言いおいて。
 そうまでして、追いかけて来てくれたはずなのに。
 ……それが、本当は嬉しいはずなのに。

 呑み込んでしまった、苦いもの。
 香穂子の胸の中で燻って、上手く消化されない『それ』が、香穂子の態度を卑屈にする。
 可愛くない返事だって分かっていても。
 もう可愛い返事なんて、咄嗟には生まれて来ない。

「……あんな目でこっち見て、そのまま背中向けられて。……気にしないわけにもいかないだろう?」
 伸ばされた柚木の指先が香穂子の顎に絡んで、無理矢理に顔を柚木の方を向かされた。じわりと淡い涙が浮かんだままの瞳で、反らすこともできずに柚木を見つめ返していると、じっと香穂子を見つめていた柚木の眼差が、ふと緩む。
「何度言わせれば学習するわけ? お前みたいなヤツに俺のような腹芸は出来ないんだよ。……言いたいことを無理に呑み込もうとするから、そうなる」

 言いなよ、と促される。
 視線を固定される、顎に触れる指先の力は強く、容赦がなくて。
 告げる言葉は、相変わらず俺様で。
 ……それでも、促すその声だけが、とても優しかったから。


「……全部、欲しいんだもの」
 真実の柚木も。
 作られた柚木も。
 ……本当は、その全てが『柚木梓馬』という一人の人間を形成していて。
 どちらが欠けても、柚木にはならないことを、香穂子はもう知っているから。
 『それ』は、自分のものじゃないと。
 決して、どうしても必要なものじゃないと思っていた柚木でさえも。
 もう香穂子は、それが柚木であるならば、全てが際限なく欲しい。

「こんな気持ち、柚木先輩にとって、絶対に重い。……だから」
 泣き出して。
 その涙を止めたくて、乱暴に握った拳を瞼の上に押し当てた香穂子は、掠れる声でそう呟く。
 そんな香穂子を、柚木はそっと腕を伸ばして。
 ただ優しく、自分の腕の中に抱き締める。
「……馬鹿」
 香穂子の柔らかな髪に、頬を埋めて。
 何かを噛み締めるように、柚木はゆっくりと目を閉じる。

「……お前のその気持ちが。俺にとって嬉しくないわけが、ないだろう?」

 きっと、負担を強いるのも。
 その細い肩に何かを重く預けてしまうのも。
 本当は柚木の方なのに。

「……呑み込んで、苦しむくらいなら。無理せず全部吐き出してしまいなよ、……香穂子」
 それを、柚木は受け止める。
 きっとそれだけが、柚木が香穂子にしてやれること。

「お前がこんな俺でも欲しいと思うのなら。ちゃんと、全部やるよ」

 心を押し殺す、不満を呑み込むことが苦手な彼女が、それでほんの少しでも楽になれると言うのなら。
 ……柚木がその我侭を受け止めることで、香穂子がずっと、柚木の側にいてくれるのなら。

 香穂子の不安を。
 不満を。
 全部受け止めて、呑み込むことすらも。

 きっと、柚木にとっては。
 確かな、幸せの形。




あとがきという名の言い訳 【加筆修正:2010.6】

木日創作って極端に走るなと毎回思います。無駄に甘いか無駄に切ないかのどっちかなんですよね……
のんびりほのぼのな話にならないのは、やっぱりキャラクターが黒&白の人だからですかね(笑)

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