成功率は50パーセント

土浦×日野

 机の上に広げた必要書類を睨み付け、香穂子はここ数日の間、なかなか答えが導き出せない自問自答を繰り返していた。
 学内音楽コンクールでの成績が評価され、音楽科への転科を打診されたのは、自分の努力が認められた結果であるので、正直なところ嬉しく、誇らしく思っている。だが、いざ書類に目を通し、これから音楽科で勉強していく自分のことを考えると、どうにも音楽科に所属する自分というものが想像つかない。
 だが、それは無理もないことだと何よりも自分自身こそが思っている。数か月前まで、香穂子は音楽とは無縁の世界に生きていたのだから。
 イレギュラーなきっかけとは言え、こうしてヴァイオリンを手にし、音楽の世界にも片足を踏み込んだ。コンクールに関わった数か月間がこれまで生きてきた中で一番充実していたという点からも、これからの自分の人生を音楽にかける価値もあると思う。
 だが、本当に自分は自分の人生の手段として音楽に向き合って行けるだろうか。
 両親にも転科のことを相談してみたが、最初あまりいい顔はされなかった。両親にとっても音楽の世界というのは未知の領域で、どうなるのか予測が付かないのだから、当然の事だろうと思う。
 それでも両親や家族は香穂子の意志を尊重し、香穂子が転科を望むのであれば協力は惜しまないと言ってくれている。だが、それは裏を返せば全ての結論を自分の力で導き出すことを念押しされたというだけで、香穂子としてみれば結局何の解決にもなっていない。もちろん、香穂子の人生なのだから香穂子自身が答えを決めなければ意味がないのだが、今はその決断を迫られることが何よりも香穂子にとっての負担となっていた。
 そんな中、香穂子と同じように普通科から学内音楽コンクールに臨み、好成績を残したことから音楽科への転科を勧められていた土浦は、香穂子より一足早く、転科の決心を固めていた。
 それまで打ち込んでいたサッカー部を退部してまで、土浦は音楽の道を進むことを決めた。本来なら、その決断を歓迎し、自分も同様にと意志を固めるべきところなのだろうが、土浦と香穂子ではまた置かれている状況が違う。元々土浦の家は母親がピアノ教室をやっていることもあり、音楽に対しての土台というものが出来上がっている。
 実際、土浦も幼い頃の出来事で一旦表舞台から離れることがなかったら、そのまま音楽への道をひた走っていたはずで、始まりが香穂子とは根本的に違っている。
 羨むのはお門違いと分かっていながらも、ついつい愚痴めいた言葉が出てしまうのは致し方ないのではないかと香穂子は思う。

「土浦くんはいいなあ。あっさり転科が決められて」
 思わず溜息交じりに呟いてしまい、何だか嫌味っぽい口調になってしまったかと香穂子は焦って片手で自分の口元を覆う。
 並んで歩く背の高い土浦の顔を、伺うように見上げると、一瞬目を丸くした土浦が、柔らかく苦笑した。
「まあ確かに、お前は俺よりも決断が難しいよな。でも、まだ結論出す期限まで余裕あるだろ。ギリギリまで悩んでおけよ」
 香穂子の愚痴の意味も分かっていて、土浦は香穂子の負の感情も受け止めてくれる。ありがたいと思いながらも、何だか増々悔しい気持ちになってしまう。
「土浦くんは、怖くなかったの? 音楽科に移ったからって、ピアニストとして成功するって保証がもらえるわけじゃないでしょう」
 人生において、成功と言える結果が残せるかどうかは、どの道に進んでも分からないものだろう。それでも、音楽家として大成するということは、ほんの一握りの限られた人にしか許されない狭き門だ。学内のコンクールで好成績を残し、それをステップに更に上を目指したとしても、願った通りの結果が得られるとは限らない。
 普通科で堅実に学んでいれば、大成功とは言えないまでも、安定した人生は送れるはずだ。そしてそんな平凡な生活は、数か月前までは当たり前に香穂子の人生の延長線上に開けていた、保証された人生だ。
 敢えて賭けに出て、その安寧を放り出すほどの価値はは果たして音楽というものにあるのだろうか。

「……上手くは言えないが、結局成功するかどうか、確率は五分五分なんだよな」
 香穂子の問いに、しばらく言葉を探すように考え込み、土浦はぽつりとそんなふうに呟いた。
「五分五分?……土浦くんでも?」
 土浦の言葉に、逆に香穂子の方が驚いてしまう。
 土浦のピアノの実力を、香穂子はよく知っている。コンクールを通じて、音楽科に所属している様々な生徒のピアノを聴いてきたけれど、惚れた欲目を抜きにしても、香穂子の中で土浦のピアノは飛び抜けて上手い。
 技術力もさることながら、意外に土浦は表現力に長けている。あまり余計な感情を表に出す人ではないから、その分演奏に情感が籠っているように感じる。
 確かに、演奏家という職業に就くことは簡単なことではないだろうが、それでも上手くチャンスを掴んでいけば、土浦は名の通ったピアニストになるだろう。そんな土浦の未来が、香穂子に容易く想像できる。
 それなのに、彼自身はそうなる確率は五分五分だというのだ。普段の自信に満ちた態度からも、そして今回転科をあっさりと決めた決断力からしても、もう少し彼の中で演奏家になるという未来は確率の高いものなのだろうと香穂子は考えていた。
「そりゃそうだろ。どんなに確率的に成功する可能性が高くても、結果は成功するか否か、二つに一つなんだぜ」
 選択肢に、百パーセントの結果はないと土浦は思っている。どんなに実力が備わっていても、どんなに運が良かったにしても、その両方を掴まなければ確実な成功というものは存在しない。
 例えば自分のこれからの未来。現時点でピアニストとして成功する可能性が8割の確率であったにしても。
 何か一つボタンをかけ間違えてしまえば、残り2割に傾く恐怖はいつだってまとわりついている。
「だから、そういう意味ではお前だって同じだろ」
 香穂子の頭にぽん、と片手を乗せ。
 土浦は、香穂子を励ますように、力強く笑う。

 例えば、香穂子がヴァイオリニストになれる可能性がたった1割でしかなくても。
 香穂子がその可能性を捨ててしまわない限り、結果はヴァイオリニストに「なる」か「ならない」か、二つに一つ。
「俺は、ピアニストに「なる」可能性が残ってる選択肢を選んだだけだ。お前が想像するほどに楽観的に選んだわけじゃないし、お前が考えるほど悲観的に決めたわけじゃないぜ」

 土浦や香穂子にとって、多分人生はこれから生きていく方が長い。
 全てを今ここで決めてしまわなくたって、間違えたと思ったら戻ってやり直す機会だってきっとある。
 だから、何かを選ばなければならない瞬間があるのなら。
 どっちに転んだって、その成功率は結局半分しかないのだから。
 それならば、より選択肢が広がる方を選ぶ。
 ……ただ、それだけのことだ。

「……土浦くんって」
 すごい、と香穂子が心の底から感心して呟く。
 そんな香穂子の頭を軽く握った拳で土浦は小突いた。
「すごいだろ。せいぜい敬え。そして、お前はお前でしっかり自分の将来を考えろ。お前の選択にまで、俺は責任持たないからな」
「そりゃ、ちゃんと考えるけど! そこで、大船に乗ったつもりで俺に任せろとか言ってよ!」
 理不尽な要求だと分かっていながら、甘えさせてくれない土浦に香穂子が唇を尖らせると、ふと笑みを消した土浦が、じっと香穂子の顔を覗き込んだ。
「……何?」
 あまりに真っ直ぐ見つめられ、思わず頬を赤く染める香穂子を、ひとしきり眺めた後、土浦はふいっと視線を反らした。
「……いや、何でもない」
 そうして背中を向けてしまった土浦の頬が、香穂子と同じように赤い色に染まっていたことを。
 背中しか追えなかった香穂子は知らない。


 例えばお前が、どんな選択をしたとしても。
 俺の想いはきっと、未来永劫変わることはないから。
 だからお前がどの道を選んでも。
 そこで成功しても、しなくても。
 お前が俺を手放さない限り、俺がお前の人生を支えて生きてやる。

 ……それは、百パーセント覆ることのない、紛れもない土浦の決心なのだけれども。
 この約束に何の保証も出来ない今はまだ。
 彼女には伝えずに、そっと心の奥底に秘めておく。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:14.11.16 加筆修正:16.7.30】

書いている間にずっと脳内を某バンドさんの曲が回っておりました。
いいことより悪いことの方がちょっと比率高めでほぼ半々、みたいな感じで。
人生の選択もそういう形で、適当は駄目だけどあまり思い悩まずに選択した方がいいのかもですよね。

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