それを言うなら、

衛藤×日野

「衛藤くん、またコンクールに出るってホント?」

 昼休みの森の広場、待ち合わせた衛藤と落ち合って昼食をとっていると、ふと思いついたように香穂子が尋ねてきた。
 まだ申込書を提出したばかりのタイミングで、何故香穂子が知っているのだろうと衛藤は一瞬訝しんだが、すぐに香穂子の周囲の人間のことを思い出して納得する。
 学内で一番の情報通だと思われる報道部の天羽菜美は、そういえば香穂子の親友だった。
「俺にとってはいい条件のコンクールが、ちょうどあったからさ」
 コンクールに参加することは、衛藤にとってはモチベーションを上げるのにちょうどいい。努力の結果が優勝という形で分かり易く手元に残ることも都合が良かった。
 今の衛藤にとっては、コンクールで優勝することが本当の目的ではない。
 だが、自分の演奏がどれくらい聴衆の心に届くようになったのか。それを知るために手っ取り早い手段の一つではある。
「頑張ってるね。私も衛藤くんに負けないように、もっともっと頑張らなきゃ」
 衛藤の目の前でお弁当をつつきながら、にこにこと笑ってそう言う香穂子に、衛藤は呆れたような溜息を付いた。
「何言ってんの。……頑張ってるって、それを言うなら、アンタの方だろ」

 衛藤の従兄弟であり、この学院の理事長である吉羅暁彦の要求する無理難題に、香穂子はよく応えていると衛藤は思う。
 良くも悪くも合理主義である吉羅は、日野香穂子と衛藤桐也、このタイプの違うヴァイオリニストを、上手い具合に星奏学院の円滑な運営のために利用している。
 技術力の高い衛藤を大小問わず様々なコンクールに参加させ、実績を上げていくのと同時に、観客受けのいい香穂子をボランティアや小さなコンサートに参加させ、地域の評判を上げていく。
 その手腕のおかげで、昨年まで存続の危機に追い込まれていたはずの星奏学院は、安定と言える運営状況にまで回復していた。
「暁彦さん、容赦ないからな。アンタこの間も施設の慰問と地域主催の演奏会と同時にスケジュール組まれてたじゃん」
「でも私、コンクールの実績とかが全然ないから、いろいろ参加させてもらえるのは進学のためにホントに助かってるんだよ」
 星奏学院の大学部への進学を希望している香穂子にとって、推薦書に記入してもらえる事項が増えることは、それなりに有益であるようだ。
 確かに香穂子のヴァイオリンの本当の価値は、コンクールなどで発揮されるようなものではないから、吉羅の判断は間違ってはいないだろう。
 ……衛藤としては、正直なところ吉羅が一筆推薦文を書いてしまえば、今香穂子が強いられている苦労はほとんど必要なくなりそうな気がするが、吉羅はそのような妥協を許さないであろうし、生真面目な香穂子もそういう手段で与えられたものは、たとえそれが自分の希望する進路であっても受け入れはしないだろう。
 そして、衛藤はそんな香穂子に触発される。

 香穂子のように、聴衆に幸せを与えられるヴァイオリニストになりたい。
 そう願いながらも、衛藤は自分と香穂子の歩く道が違うものであることを知っている。
 香穂子の音色が全ての聴衆の心に寄り添うものであるならば、衛藤の音色は聴衆を圧倒するものだ。聴き手と同じ立ち位置から広がっていく香穂子の音色とは違い、衛藤の音色は常に遥か上を目指すものだった。
(で、俺にしても香穂子にしても、結局いいように暁彦さんに利用されてるってことだよな)
 香穂子が努力をするから、衛藤も努力をする。逆もしかり。
 そして、その努力によってもたらされる結果は、吉羅にも……そして衛藤や香穂子にとってもプラスになるものだ。
 吉羅から与えられる状況は確かに過酷だが、それを承知の上で衛藤も香穂子も彼の思惑に乗っている。結局のところ、持ちつ持たれつというやつだ。

「……何だかんだ言っても、結局暁彦さん、俺たちの使い方をよく分かってるってことなんだよな」
 掌の上で転がされているような感覚で、悔しいようなもどかしいような。
 そして、衛藤の目の前でふわふわとした笑顔で座っている香穂子にも、少しだけ似たような感情を衛藤は抱く。

 衛藤が目指す音色を持つ香穂子が頑張っているから。
 そこに追いつくためには、彼女以上の努力を衛藤は強いられる。
 そんなふうに、香穂子という存在が衛藤を前に走らせるから。
 衛藤はいつまでたっても、目の前にいる二つ年上の恋人に、まるで追いつけるような気がしない。

 それは、ヴァイオリンの演奏技術ではなく。
 もっと、根本的な部分で。

「それを言うなら、衛藤くんだって」
 頬を膨らませる香穂子が、拗ねたように呟く。
「二つも年下なのに、何かいつも余裕で。吉羅理事長にいろいろ無茶言われても、涼しい顔でこなしちゃうし……」
 出逢った頃からずっと衛藤は香穂子のことを『子どもみたいだ』と言い続けていた。帰国子女だという背景も影響しているのか、二つも年下のクセに生意気だと言い返すには、確かに衛藤は大人びていて。
 そんな衛藤に対等な女性でありたいと思うのに、香穂子はいまだに自分のことをこなすので精一杯だった。

「……置いてかないでね」
 そうっと伸ばした指先で、もう入学式の時の面影が全くない、着崩された音楽科の制服の裾を摘まんで、香穂子は小さな声で衛藤に告げた。

「……だから、アンタって困るんだよ」
 目尻を赤く染めた衛藤は、つい香穂子から視線を反らし、小さな声で吐き捨てる。

 衛藤を奮い立たせるほどに強いかと思えば。
 こんなふうに、突然可愛らしいことを言い出したりする。だから。

 衛藤はいつまでたっても、香穂子には勝てる気がしないのだ。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:14.10.19 加筆修正:16.7.30】

結局、衛藤くんは香穂子さんにメロメロ(死語)だって話ですネ。
「それを言うなら、」というフレーズに、反射的にあっさり「アンタだろ」と来たので、こんな話が出来上がりました。書き上げた時はあんまり私的にすんなりきてなかったんですけど、今改めて読み返してみるとそこまで悪くはなかったなと自画自賛。

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