自覚と無自覚

月森×日野

 月森が大切に想う彼女は、自分と他人の間に壁を作らない、奔放で人懐っこい人間だ。
 そんなことは初めから知っていた。彼女がそういう人間だったからこそ、おそらく今の自分達というものは形成されてきた。
 他人に物おじすることなく。
 素直に真直ぐ、人の心に入り込む。
 頑に他人を遠ざけるだけだった自分が、こんなにも彼女を好きだと想えるようになったのは、彼女が自分と彼女の間にある壁を、取り払おうと努力してくれたから。
 ……それは、月森だけに与えられたものなどではなくて。
 他の人間にも同等に与えられるもので。
 彼女がそんな人間ではなかったら、今の自分達だってないのだから。
 ……今更、自分が何を言う権利もないのだけれど。


 昼休み、もしかしたら香穂子に会えるかもしれないというわずかな期待を胸に、エントランスに赴いた月森は、期待通りにエントランスの片隅に、香穂子の姿を発見する。大勢の生徒がいる中、真っ先に彼女を見つけた自分自身に苦笑しながら彼女の方へ足を踏み出しかけて、月森はふとその足を止める。
 香穂子は一人じゃなかった。少しだけ斜めに見上げて談笑する香穂子の視線の先には、月森と同じ音楽科の制服を、原形を留めないくらいに着崩した人物がいる。その人物も、月森が良く知っている人物。先輩の火原。
 明るい表情で二人は何かを話している。火原の一言に香穂子が何かを返し、弾けるように笑う。それは一見、仲がいい先輩後輩が、他愛無い会話を通して笑いあう、微笑ましい光景のように見える。
 だが、香穂子を見つめる火原の眼差に、時折混じる甘さと切なさ。違う人間である以上、その感情全てが同じだとは言えないが……それは、きっと月森が同じように持っているものだから、月森には火原の心が少しだけ分かると思う。

 香穂子は、躊躇いなく笑うから。
 ……だから、誰かの心を惹き付けてやまない。

 香穂子を好きになって。
 自分を好きになってもらって、初めて知る、自分の中の黒い心。
 『あの』笑顔を、どうして香穂子は、惜し気もなく誰にでも向けてしまうのか。
 その屈託ない明るい笑顔が、どれほどまでに他人の目を魅了するのか。
 全て、無自覚なままに。

 それが、全て自分の物だなんて自惚れはしないから。
 ひとりじめ出来るだなんて勘違いはしないから。
 せめて、自分が持つ自分の魅力というものを。
 自覚して、少しだけコントロールしてくれればいいと、月森は願うのだけれど。


「月森くんって、自分のこと棚上げしてる」
 その日の帰り道。
 香穂子が自分以外の男の前で笑うのが癪に触るなんて、堂々と白状したくはなかった月森だが、どうにも濁る心をあっさりと香穂子に見透かされて、問いつめられた。
 元々嘘が上手くない月森は、結局誤魔化すことが出来ずに、全てを暴露する羽目になる。だが、どうせ白状するのならばと、自分の要望も添えてみたところ、香穂子は憮然としてそう言うのだった。
「俺が、何を棚上げしているというんだ?」
 自慢ではないが、優しくすることも、微笑みかけることも、月森が『そう』できるのは香穂子に対してだけだ。香穂子以外の自分の人生を掠めて通り過ぎていくだけの存在全てに、愛想良く振る舞うことは出来ない。そんな処世術がきちんと身に付いているのなら、月森はこれまで自分以外の他人に対して、壁を作る必要はなかったのだ。
 突然香穂子が足を止める。それにつられるように月森も立ち止まると、香穂子は大きな目で真直ぐに月森を見つめ、ぴしりと指先を突き付けた。
「自分の魅力を自覚してない!」
「……は?」
 呆気に取られて、月森が片眉を上げる。照れてほんのりと頬を染める香穂子が、小さな溜息を付いて視線を反らす。
「……そりゃ、私ってこんなふうに、あんまり深く考えてなくて。だから。月森くんに心配かけちゃうこともあるかもしれないけど。……どんなふうに他の人に笑いかけてたって、私が月森くん以外の人を好きになるわけ、ないじゃない……」
 言いながら、自分がどんなに恥ずかしい発言をしているのかを自覚して、香穂子の語尾がどんどんその音量を下げていく。代わりに月森の頬が徐々に赤くなって、思わず月森は片手で自分の口元を覆う。
「月森くんの言動とかが、どれくらい私にとって威力があるか、自覚しててくれないと、困る」
 拗ねたように言って、香穂子が指先を伸ばして月森のシャツの裾を掴む。
「……他の人に心揺れる余裕なんて、ないよ……」

 月森の懐の中に入り込んで。
 知ったのは、心地よい甘さ。
 外側から見れば、冷たい壁を張り巡らせて、ただ痛いだけだった月森という存在は。
 内側から見ればひどく甘い。
 それは、ただ香穂子を堕落させるだけの甘さではなくて。
 香穂子を前へ前へと進ませる強さを持ち、決して妥協させない鋭さを持ち。
 そして時折、これ以上にない安らぎをもたらしてくれる。

 きっと、他にはいないだろう。
 こんなにも、沢山の感情をくれる人。

「もう少し、私に物凄く好かれてるって自覚持ってよ。月森くん」
 
 上目遣いで、少しだけ怒ったような口調で香穂子が言う。
 それが、照れ隠しの裏返しだというのは、赤く染まったままの彼女の柔らかな頬が証明していて。
 驚いたような月森の涼やかな眼差が、軽く瞬いた。
 そして、香穂子の言葉をしっかりと受け止めた月森が、ふわりと破顔する。
「そうだな。……そして、君にも自覚してもらわないと」
 ここが天下の往来だということもお構いなしで、月森が香穂子に身を寄せ、首筋に顔を埋める。香穂子が驚く間もなく、一瞬のうちにちり、と甘い痛みが焼き付いた。
 月森の身体が離れ、我に返った香穂子が、慌てて片手でその熱が移った部分を押さえる。その指先には何の感触も残らないが、おそらくそこには紅く色付いた花弁の痕が残っているのだろう。
 呆然と自分を見上げる香穂子に月森は、どこか勝ち誇ったような笑顔で悠然と言ってのける。

「君が、好きだといってくれる男は、君が想像するよりもずっと、独占欲の強い男であることを」




あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.5.5】

月森黒ーッ!(笑)おかしいな、実はもう少しヘタレに書くはずだったのにな。
まあ、原因がここ最近読んだ漫画って事は分かってるんですけどね(笑)
ちょっと火原がかわいそうだったかな~と思いつつも、一番端から見て分かりそうなのは火原だと思ったので。
自覚と無自覚、どう対比させようかと悩んでましたが、スタンダードに無自覚を自覚するという流れに持っていってみました。

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