電脳世界の住人

月森×日野

 意識すらしないもののあちこちに、彼の欠片を見つける。
 メジャーな俳優とか歌手というわけじゃないから、そういう世界の中で考えれば、本当に稀に見つける欠片なのだろうけれど。
 新聞の片隅とか。
 インターネットの検索項目や。
 何気なくつけっぱなしにしていたテレビの中から。
 彼の欠片を見つける。

 香穂子の知らない『月森蓮』の欠片を




 落ち着いた雰囲気の15分程度の深夜のトーク番組。バラエティ色は一切なく、淡々と進むインタビュー。だけど、ブラウン管の向こうにいる蓮は、香穂子と共にいる時とも、ステージの上でヴァイオリンを演奏する時とも違う顔を見せる。無闇に愛想を振りまくわけでもなく、かといって意味もなく不機嫌そうに過ごすのでもなく、終始穏やかな表情で、司会の言葉に丁寧に一語一語を返していく。
 高校生の頃、報道部の天羽のインタビューから逃げ回って、いつも仏頂面で応対していた人と同一人物だとは思えないほどの変化。あの頃の蓮を知っている人であれば、今こうしている蓮の姿を目にすれば、我が目を疑うだろう。
 香穂子は、知っている。卓越したヴァイオリンの演奏と、何よりもその端正な美貌のおかげで、蓮個人を露出させる仕事の依頼がより多いことを。もちろん、蓮にとって本意ではないそんな仕事は、よくよく吟味して選んではいるようだが、だからといって全てを退けるというわけにはいかない。
 こんなふうに、蓮が否応なく身に付けてしまった処世術こそが、香穂子が彼と逢えなかった数年の間で彼が人間的に成長した証なのだろうし、同時に、そんな彼に香穂子が違和感を感じてしまうのは、その変化を感じ取れない程、二人が遠く離れていたことの、その証でもあるのだろう。
 だからきっと。
 こんな世界にいる蓮を見る時には、香穂子にとって、彼が遠い。
 香穂子が意識すらしない色々なもの。本当の月森蓮を知らない誰かが、その中から拾い集めて、繋ぎ合わせて造り上げた、『何か』越しの『月森蓮』は、香穂子にとって、時々まるで知らない人のように感じることがある。
 別世界の住人。
 そのことを実感して、寂しくなる。

 深夜の一人きりの部屋。電灯を落として、目の前のテレビだけが押さえた音量で語りながら、明るく輝いている。
 蓮はその光の中にいて。
 香穂子は闇の中にいる。
 その事実が、悔しいとか歯がゆいとか。そんなふうに卑屈になるんじゃなくて。
 向こう側にいる蓮に、香穂子はどうしても届かない。
 ……そんな手の届かない場所にいることが、当たり前になってしまった人だ。
 そのことが、とても寂しい。

「……香穂子?」
「えっ……うわっ!?」
 耳元でぼつりと呼ぶ声に、香穂子は一瞬呆然とした。次の瞬間、驚いて声を上げて振り返ると、とても近い場所に、たった今、光の中で穏やかに笑っていた端正な顔。
「すまない、驚いたか?……一応、インターフォンも鳴らして入って来たが、応答がないから、もう寝ているものだと思っていた」
 苦笑した蓮は、ふと香穂子が見ていたテレビに目を向ける。それが数日前に録画して来た自分の出ている番組だと気付くと、わずかに顔をしかめてテーブルの上に無造作に置いてあったリモコンに手を伸ばし、スイッチを切る。代わりに壁際を探って、落ちていたリビングの電気をつける。
「け、消しちゃうの?」
 あまりに迷いのない行動に、香穂子が戸惑いながら蓮を見上げる。喉元に指を伸ばし、きっちりと結んでいたネクタイを解きながら、蓮は小さな溜息を付く。
「演奏しているところならともかくとして、ああいうところはあまり望んで見たいものではないな。他の人には気付かれなくとも、自分では無理をしていることが分かるし……」
 そこで言葉を切り、蓮はふと香穂子に視線を落とす。苦笑するようにして、指先を伸ばして香穂子の頬に触れた。
「……君を哀しませるようだし」
 言われて、香穂子ははっとして蓮が触れている方とは逆の頬に指先で触れてみる。わずかに残る、涙の跡。
「あ、あの、これは。……別に、蓮がテレビに出てるのが嫌とかそういうんじゃなくて!」
 焦って乱暴に自分の頬を拭いながら、香穂子が蓮から視線を反らし、懸命に言い募る。
「何か、テレビとか雑誌に出てる蓮見てると、私なんかと全然違う世界にいて、凄く遠くて……あ、でもそれが駄目なんじゃなくて。悔しいんでも妬ましいんでもなくて……」
 誤魔化したいのに、どんどん唇から溢れる言葉は、誤魔化すことから程遠い言葉を並べ始める。一つ一つを吐き出して、少しずつ香穂子は自分の言葉が自分の本心へと近付いていることに気付く。
「……蓮が、別の人みたいで。それが、ちょっとだけ、……寂しい」


 生きるということは、変わることだ。
 良きにしろ、悪しきにしろ。
 1日だって、同じ自分はいない。
 前ばかりに進んではいけないから、時々後戻りもする。
 だが、全く同じ自分だっていない。
 蓮の変化だって、きっとそういうもので。

 違う世界に生きているように見えたって。
 きっと本当の蓮は、本質の部分で同じもの。
 だけど、高校生の時に比べて、いろんなものを積み重ねて来た。
 乗り越えて来た。
 そういうことから生まれる変化。

 ……ただ香穂子は、彼がどんな苦労をして、痛みを経て、成長して来たのかを、間近で見ることは叶わなかった。
 今、側にいてくれるだけ、きっと幸せなのだろうけれど。
 幸せだからこそ、そんな贅沢なことも考えてしまうのだろう。

 香穂子がいない場所で、蓮にもたらされた変化。
 それを知らないことが……多分、寂しい。


「……馬鹿だな」
 微かに笑う蓮が、香穂子の腕を掴んで、引き寄せる。
 強くもなく弱くもない彼の抱擁は、香穂子にとって何よりも優しい。
 香穂子の頭上で、彼の低い声が、穏やかに響いている。
「テレビでも雑誌でも。……ヴァイオリンを弾くこと以外で見せる俺は、決して本当の俺じゃない」
 蓮の腕の中で、香穂子が瞠目する。
 慰めるように。
 愛おしむように、蓮は、香穂子の髪に頬を埋め、ゆっくりと目を閉じる。
「本当の俺は、ここにいる俺だけだ。……君の側にいる、君のことだけを想う『月森蓮』。……それでも、君はやはり、寂しいと思うのか……?」


 仕事だと割り切って、それなりに態度良く振る舞う術は身に付けた。
 それは決して本意なことなどではないけれど。
 そんなふうに、造り上げた仮面を被ることを卑怯だと思う潔癖さはなくなった。抵抗がないわけじゃなく、それを是とするわけでもないが、頑に潔癖さを貫くことも、ある種の傲慢であることに気付いたのだ。
 だが、やはり蓮にとって、誰にでも見せる表の『月森蓮』は、決して本当の自分じゃない。
 本当の『月森蓮』は、やはりヴァイオリンを弾く時と、香穂子の側にいる時にしかない。自分にとっても、メディアに現れる自分というものは、まるで別世界にいる別人のように思えるのだ。

 作り上げられた架空の世界に生きる。
 同じように作り上げられた偽者の自分。

 それでも、本当の自分を知る人はいるから。
 本当の自分を分かっていて欲しい人は、きちんと自分を理解してくれているから。
 もう、それだけで構わない。


「うん……そうだね」
 腕の中で、香穂子が頷く。
 蓮の背中に手を回して、しっかりとしがみついて。
「ここにいる蓮が、私の蓮だよね。……こうしていてくれれば、大丈夫なんだよね」
 明るさを取り戻した香穂子の声に、ふわりと蓮は笑う。ああ、と息を付くように呟いて。香穂子の髪をゆっくりと撫でた。
「……その調子」


 意識すらしないいろいろな場所で見えている、自分自身の欠片。
 その自分ではない自分の欠片が、一人歩きして、勝手な自分という人間像を違う誰かの目に造り出している。
 だけど、そんなふうに作り上げられたのは、別世界に生きる住人。

 本当の自分は、やっぱりいつまでも変わらず、ちっぽけな存在のままで。
 大切なヴァイオリンを弾くことと。
 大切な人の側に在ることだけを。

 幸せの糧にして。
 今日という日を生きている。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.8.8】

一応、お題を根本から外しているって自覚はありますよ-(笑)
「電脳」って単純に「コンピュータ」かなと思うので、これに絞って月森的な話を書くのが難しかったのです。
ここでの電脳世界は一種の仮想世界、バーチャル的なものって感じで捉えてます。
テレビとかで妙に愛想のいい月森蓮っていうのは、月森ファンには抵抗があるかもですが、仕事持ってる大人なんだから、その辺の対応は身に付いてていいんじゃないかと思います。
音楽的なことと関係ない仕事は受けない、くらいの頑さはあっていいとは思ってますけども。

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