留守がちな家族と連絡が取りやすいようにと、比較的早い時期から持たされていた携帯電話だったが、余程の急用でも出来ない限り、月森にはほとんど使うことのない、どちらかと言えば使用頻度の低いものだった。誰かとメールのやり取りをすることもないし、他愛無い電話をかけるほどに暇でもない。
几帳面な性格故に、バッテリーを切らすことこそなかったが、月森にとって携帯電話は、ただ鞄の中に収まっているだけの不要の物だった。……香穂子と知り合うまでは。
香穂子も同年代の女子高生と比べれば、携帯に依存して生活する質ではないが、それでも月森よりは有効に利用していると言えるだろう。
そんな彼女につられて、多少使用頻度の上がった月森の携帯電話。
香穂子と付き合うようになって初めて、月森は自分が携帯電話を持っていることに感謝した。
きっと普通の恋人同士に比べれば、やりとりをする頻度は少ないのであろうが、それでもこの掌に収まる小さな電話が存在することで、ボタンを数回押すだけで、月森と香穂子とは繋がる。
繋がる回数やその時間の長さは関係がない。確実に繋がる手段がそこにある。そのことが何よりも2人にとって重要なことだったのだ。
多彩な機能の全てを使いこなす程には、この小さな機体に依存する機会は少ないが、それでも彼女に出会う前に所持していた頃よりは、少しだけこの機体が存在する意義がある。
慣れない手付きで携帯を操作し、月森はこの小さな機体が記憶している様々なデータの一覧を覗く。
香穂子と時を過ごす前には、空っぽだったメモリーカード。
だが今ではそこに、数少ないけれど、確かに2人で過ごしてきた想い出の一場面を切り取った画像が残っている。
香穂子も月森も、自分が被写体になることは好まない。
互いに互いを記録に残したい欲求はあるのだが、お互いにそれを拒むものだから、月森の撮った数少ない写真データの中には、香穂子そのものを写し取ったものがない。……おそらくは、香穂子のメモリーカードに焼き付いたものも、似たようなものだ。月森より少し、数は多いかもしれないが。
春の散る花々の残像。
凪いだ海、水面の光の乱射。
暖かく色付いた木々。
白く染め抜かれた馴染みの公園。
香穂子と過ごしてきた季節の、その一場面を切り取ったものだけが残る月森のメモリーカード。
そこにいた2人の姿も声も、目に見えるものとして残ってはいないけれど。
(それでも……きちんと思い出せるんだ)
小さな画面に呼び起こされる、そんな季節の一場面を目にすれば。
その時の会話も。
胸の中に生まれたとても優しく、穏やかな愛おしさも。
呼び起こされる。
月森自身が心の中に持っている、想い出という名のメモリーカードから。
彼女との時間は。
思い出したくなった時、いつでも呼び出せるように。
記憶の片隅に、強く、強く焼きつけているから。
「……何見てるの?」
ソファに寝そべって、掲げた携帯のメモリーを確認している月森の手元を、絨毯の上に座り込んで雑誌を眺めていた香穂子が覗き込む。月森の携帯が表示する切り取られた風景を見て、香穂子が嬉しそうに笑った。
「これ、この間遊びに行った時だよね。月森くん、写真撮ってたんだ?」
「……数枚だけ。きっと、君が撮っていたものの方が多かっただろうけど」
「うん。自分撮られるのはあんまり好きじゃないけど、想い出を残すのは好きだよ」
いつか、遠い未来へ進んで行って。
ふと、振り返りたくなった時。
いつでも、記憶の奥底に仕舞われてしまった想い出の欠片を。
呼び起こす、鍵になるように。
「『この時は、あんなことがあったね』って思い出すの、きっと楽しい気がするんだ。後ろ振り返ってばっかりじゃ駄目だけど、でも、たまには振り返ってみるのも、悪くないよね?」
そう言って、香穂子が屈託なく笑うから。
少しだけ心の片隅を曇らせてしまいそうになる不安から、ほんの少しだけ月森は目を反らす。
「そうだな。……きっと、悪くはない」
遠い未来でふと足を止めて振り返る時に。
果たして自分は、『あの時にはあんなことがあった』と、過去を懐かしみ、そして何を構えることもなく過ぎ去った日々を懐かしめる、その時に生きる自分の幸福を、ただ噛みしめるのだろうか。
それとも、幸福だった過去を切望し、『あの頃はよかった』とその時に生きる自分を悔やむのだろうか。
……答えは出ない。
見つからない。
……それでも。
香穂子と過ごした、自分自身の記憶は。
どんな場所で、どんな心情で振り返る時であっても。
きっと幸福に満たされた、ひどく甘いものだろう。
たとえ、振り返るその瞬間の自分が、どれほどの苦悩を抱えていたとしても。
振り返る過去は、きっと優しいものだろう。
だから、今は。
ただ満たすことだけを考えよう。
小さな、薄っぺらいメモリーカードを。
幸せという名の想い出の欠片で。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.6.20】
このお題に挑戦し始めて渡瀬がよく言ってることですが、何となく感覚的なものが多い気がします。
よって、渡瀬が思い付く作品も、モノローグ的だったり、思考のあれやこれやだったり、固いものが多いかなとも思います。
できるだけ雰囲気が偏らないよう、いろんな創作を書いていきたいと思います。


