光を見る

月森→日野

 自分へ向けられる期待と羨望と嫉妬とに、いつしか身動きが取れなくなる。
 足下に、ねっとりと絡み付くような闇を感じる。そこから抜け出したくて、いつもいつも、もがいているだけのような気がする。
 誰が、どれだけ素晴らしい技術だと評価してくれたとしても。
 技術しか、認められることのない自分の音を、巡り巡って思い知らされるだけだ。

 だからきっと。
 あの光は、この目には眩し過ぎる。




 特別、際立つ技量があるとは思えない。
 演奏することを、ファータの魔法に頼っていると知ってからは、余計にそう思う。
 紛い物のヴァイオリニスト。
 ……そう、思うのに。
 それでも彼女は、紛れもなく『表現者』なのだ。

 月森が『そうなりたい』と願う。


 自分にしか出せない音が欲しかった。
 誰の目から見ても、疑う余地のない高度な技術と。
 誰の心にも止まる、豊かな表現力で。
 誰かの耳に、記憶に焼き付いて。
 その心が闇に捕われる時に、行く末を照らす光になるような。
 そんな、ささやかでもいいから。
 確実に灯る、光のような音が。

 漠然と抱き続けていたそんな理想を、彼女は呆気無く体現する。
 そしてようやく自分は気付くのだ。
 あれが、自分が欲していた音だと。
 ……だが。


(俺は、君のようには弾けない)
 彼女の持つ音色を耳にして。
 押し寄せる焦燥感。
 夜の闇の中で、誰もいない部屋で、必死になってあの音を探す。
 月森が憧れて、欲し続けたあの音。
 まだ荒削りの技術ながらも、それは経験の乏しさだけで。その音色の向こうに月森の理想を現実にするだけの可能性を覗かせる、あの暖かな音色。
 誰の心にも響く音。
(……弾けないんだ)
 あの音に近付きたくて、懸命に弓を滑らせても。
 月森が生み出すのはただ、月森の音。
 長い年月を費やして、研ぎ澄まされた高い技術から奏でられる音色。
 冷たくて、無機質な。
 綺麗なばかりの音。

 妬ましくて、悔しくて。
 また進まないこの足が、どろどろとして、濁った重いものに捕われる。
 真っ暗になる視界で、目線だけを上げて。
 そして、見る。
 手の届かない場所にある光。


(月森くんのヴァイオリンを聴いて、コンクール参加しようって思ったんだよ)
 はにかんだように笑って、風に乱される長い髪を、耳元でかき上げる。
(月森くんみたいに、綺麗に澄んだ音、弾いてみたいって思ったの。……だから)
 『俺のように』弾く必要なんて、ないのに。
 君も、俺の音に囚われている。


「悔しいとか、ムカつくって思う時もあるよ」
 嘘をつかない彼女は、何かを思い出すように空を見据え、そんなこともあっさりと曝け出す。闇に沈む気持ちを容易く口にしてしまうそんな彼女の性質も、月森には持ち得ないもので、更に彼女を眩しく月森の目に映すけど。
「でも、そういう気持ちばかりでもないから」
 挑むような真直ぐな眼差で月森を見つめる彼女に、月森は苦笑混じりに視線を返す。
 ……そう、ただ妬ましく。
 悔しい気持ちだけを胸に抱いて、彼女のことを見ていられるなら、こんなに楽なことはないのに。
「……確かに」
 思い通りにならない自分の心を持て余す不器用さに、月森は自嘲気味に笑んで、双眸を伏せた。


 それは、手の届かない光。
 あんなふうに輝きたいと願うのに。
 どうしてもそうなれない自分自身を省みて、心はただ、どろどろとした黒いものに囚われる。
 だが、その場所から抜け出したいともがく本心は。
 いつだって、光を見る。

 その光は今の自分では手の届かないものであるのと同時に。
 いつか、手を届かせたいと願う目標でもあるから。

 光は闇を作るものであるけれど。
 その闇を照らすものでもあるから。


 だから俺は。
 今日も、理想に向かって足掻く醜い自分自身を、誰にも気付かれることのないように、心の中に隠しながら。
 進む為に、光の射す方角を見る。


 君という光を。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.7.22】

読み手には物凄く微妙な話だと思いますが、個人的にはこういう話は書きやすくて好きです。
基本的に、月森にとっての香穂子を「心地いいもの」として書くんですが、今回はそれをあえて外してみました。
いわゆる、「飛んで火に入る夏の虫」な話? 真っ暗な場所にいると、射し込んで来た光が眩しくて痛くても、そっちだけが唯一「分かる」ところだから、その方向に進まずにはいられない。
……そんなことを考えながら書いてましたが、ちゃんと書けましたかね?
ここで解説してる時点で失敗している気もしなくもないです(笑)

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