香穂子はテーブルの端に両手を引っ掛けて身を屈め、その高さに目線を合わせて、小さな砂時計から音もなく蒼い色の砂が落ちる様を眺めている。何か目の前に動くものを与えられて、興味津々な子供を見ているようで、苦笑しながら月森が尋ねる。
「……そんなに楽しいのか?」
体勢は変えることなく、うん、と香穂子が素直に頷いた。
「何か、飽きないよね。砂時計って。昔、雑貨屋さんとかでも無意味にひっくり返して、じーっと見てたなあ」
目の前の香穂子が正にそれだから、店内でそうしている少し幼い香穂子の姿が容易に想像出来て、月森はまた、唇の端で笑う。月森くんは?と尋ねられて、笑い混じりの溜息を零した。
「俺は、あまり好きじゃない」
「そうなの?……どうして?」
視線だけを月森に向けた香穂子に尋ねられ、月森はもう一つ息を付く。
香穂子から視線を反らして、中空を見つめた。
「……時間の流れが、目に見えるのが嫌なんだ」
馬鹿馬鹿しいと自分でも思う。
実際、少し前の自分だったら、こんな些細なことに気を向けることはなかっただろう。
好きも嫌いもなくて。
目の前にある物体は、ただそこに在るだけのものでしかなくて。
……今、こんなことを考えるようになった自分が、果たして正しいのか、それとも間違った変化だったのかは、月森には判断が付かない。
それでも、目の前にある何かに感情を寄せずにはいられなくなった自分は。
香穂子を好きになったからこそ、生まれた自分自身であるのだと。
それくらいのことは、知っている。
……だからこそ。
今、この目にはっきりと映る、時の流れが歯がゆくて仕方ない。
目に見える時の流れは、その終焉すらもはっきりと月森に自覚させる。
幸せな日々は、いつか終わるのだと。……その真実を突き付けられているようで。
「……ふうん」
なるほど、と香穂子が頷いた。ようやく身を起こして立ち上がった香穂子に、月森がちらりと視線を向けた。
「……私達に残された時間も、こんな感じかな?」
そんな月森と一度視線を合わせ、香穂子は一つゆっくりとした瞬きをして、また優しい眼差をさらさらと落ちる砂に向ける。ストレートな香穂子の物言いに、どこか痛そうに表情を歪める月森が、俯いた。
止められない時の流れ。
確実に、加速することも減速することもなく、落ちて行く砂と同じで。
指の間から、さらさらとすり抜けてしまう。
この手の中に、残らない。
……留学を決めたことを、後悔したことはない。
離れると分かっていて、彼女と想いを通わせたことも。
でもその幸福に、遠くない将来に終わりが来てしまうことこそが、月森の心をどうしようもなく苛むのだ。
「月森くん」
穏やかな香穂子の声。
離れ離れになると分かっていたのに、こんな自分を選んでくれた人。
……留学後に、恋人と呼べることを何一つしなくてもいいからと言ってくれた。
別れに怯えて最初から絆を繋ぐことを諦めるよりも、短い期間に、たくさんの想い出を作ることを選んでくれた人。
誰よりも愛おしい。
大切な人。
「それでも、流れた時間はただ消えて行くだけのものじゃないんだよ」
テーブルの上の小さな小さな砂時計。
もうすぐ、降り尽くしてしまう蒼い砂。
香穂子の指先が、その小さなものを揺らして。
月森を真直ぐに見つめて笑う。
「ね? ちゃんと、残るものがあるでしょう?」
香穂子の揺らす砂時計。
下段に降り積もった、蒼い砂。
降り落ちるのと同じ時の長さの分。
確かに、そこに積み上げられたもの。
香穂子と月森の過ごす時も同じ。
一緒にいる時間が降り積もれば降り積もった分。
二人の心の中には、残されるものがある。
「……君は」
驚いて、微かに目を見開いた月森が、呆然と呟き。
そして、どこか呆れたように微笑む。
「強いな」
「そうかな?」
香穂子は苦笑する。
特別に、自分が強い人間なのだとは思わない。ただ、香穂子は覚悟を持って選んだだけだ。
いつか離れて行く人と刻む、幸せな時間を。
「というか、月森くん。4分経ったんだから、お茶注ごうよ」
降り尽くした砂時計を指先で摘んで持ち上げて、ゆらゆらと香穂子が揺らす。
そんな彼女に毒気を抜かれたように、月森は微かな溜息をつき。
そうだな、と頷いた。
こんなふうに。
ただ、お茶を飲んだり。
他愛無い会話を交わしたり。
……見つめ合うだけの最中にも。
音もなく、目にも見えない時の砂が、さらさらと滑り落ちて、無くなって。
そして、確かに降り積もっていく。
二人一緒に過ごした共有の想い出を、確実に増やしていく。
それを、いつか離れ離れになる時に、胸の中に抱く宝物にできるのであれば。
否応なく過ぎる時間にも、間違いなく『意味』が出来るだろう。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:07.12.30】
紅茶をいれる際に、砂時計が欲しくなります。きっちり4分間。でも、実際に使うことはないだろうなと思って買わないんですけどね(笑)
サイトで初めての2~アンコールベースのお話でした。
オフライン本「解く、繋ぐ」の流れを引き継いでいるため、無印ベースのものとは多少内容が変わっています。


