仲良くなる前は、香穂子が一方的に月森の背中を追い掛けるだけだったし、仲良くなって、肩を並べて歩くことが頻繁になる頃には、香穂子はもう月森への恋心を自覚していて、自分のことで手一杯だった。
会話を途切れさせないように。
ちょっとした仕草で、嫌な思いをさせないように。
そんな気遣いばかりが先行して。
また、これは月森の方も対応が上手かった。
変に構えることもなく、香穂子の目に不自然に映すこともなく、極々自然に香穂子の歩調に合わせてくれていたから、月森がそんな気遣いをしてくれているその事実すら、香穂子は気付かなかった。
気付いたのは、一緒に歩くことも、側にいることも当たり前になった頃。
隣に立つ背の高い月森の横顔を見上げ、昔は背中ばかりを追いかけていたのにな、と感慨にふけって。
……昔は、彼の姿を見つけて、追いかけようと歩き出しても、香穂子の歩調では月森の背中になかなか追いつけず、駆け足で彼の姿を追った事実を思い出したのだ。
真直ぐに、前を見て。
無駄な動きはせず、颯爽と歩く姿。
なかなか追いつけなくて、前方を見る月森の視界に入れなくて。
もどかしくて。
それでも、そんな姿すらも、何とも言えず、彼らしい姿で。
……好きなんだなあ、と考えていたことを思い出す。
(でも、それは結局月森くんに気を遣わせてるって事なんだよね)
決して焦って生き急いでいるわけではないだろうけれど。
無駄というものを一切省いたような生き方をしている月森の歩調に、自分こそがブレーキをかけている事実を、香穂子は気にせずにはいられない。
あまり急がせて、無理はさせたくない。
置いて行かれたくもない。
だけど自分が原因で、月森の何かの波長を狂わすことが嫌だ。
自分を待つために、月森の歩みを遅らせることが嫌だ。
……たかだか歩く速さの程度くらいで、人生の何かを左右するわけじゃないと言われてしまえばそれまでだけど。
どんな些細なことだって『それ』をしている以上は、どんな連鎖反応で人生そのものに影響を及ぼすかなんて、誰にも答えは分からないのだから。
「月森くん、あの」
香穂子は思い切って、隣を歩く月森に声をかける。
軽く瞬いて、月森が香穂子を斜めに見下ろした。
「……何だ?」
微かに笑いを含んだ眼差が真直ぐに香穂子を捕らえる。その穏やかな眼差に、ちょっと見とれかけた香穂子が、そーじゃなくて、とふるふると首を横に振った。
「あの……私の歩調に合わせてると、歩くの遅い、よね?」
決して香穂子の歩みが人と比べて遅いというわけではないだろうけど、普段月森が歩く速さに比較すれば、随分とのんびりとした歩みだろう。姿が見えていても、それなりに走って追いかけないと追いつけなかった過去を思い返してみてもそうだし、そもそも香穂子と月森には性別間の格差があるのだ。どれだけ世の中が男女平等を謳っていたとしたって、男と女の、持って生まれた体格の差は埋められない。
こうして踏み出す一歩の歩幅も、本当は、全然違っているのだし。
「だから、あんまり私に合わせて歩かなくてもいいんだよ。ちょっと歩くの速くても、ちゃんと頑張って追い付くし」
懸命に香穂子が訴える。
月森は、どこか呆気に取られた表情で、香穂子の言葉を聞いていた。
そして、香穂子が口を噤むと、小さな息をついて、呆れたように笑った。
「……突然何を言い出すかと思えば。別に気にしなくていい。君が思うほど、無理も我慢も、していないから」
「……でも」
付き合い始めてからの月森は、基本的に香穂子に甘いから。
甘やかされる香穂子は怖くなる。いつか、自分はその甘さに溺れるだけになるかもしれないと。
だから、月森から一方通行で何かを与えられたくない。
自分が甘やかされたら、その分月森を甘やかしたい。
何かを与えられるのなら、それと同じだけのものを返して、きちんとバランスを保ちたい。
どちらか一方に寄り集まることで、この関係が崩れ落ちてしまわないために。
……どんな小さな事柄でも、香穂子が気になると思ったことは。
巡り巡って、そういう結論に辿り着くのだった。
口籠り、俯く香穂子にもう一度苦笑して。
月森は、空いた片手を伸ばして、香穂子の手を取る。
その冷たい指先の感触に、香穂子が弾かれたように顔を上げると、月森は首を傾げるようにして、香穂子に微笑んだ。
「……俺は、一人っ子だから。基本的に、自分本意で、我侭だ」
「……なあに、それ?」
月森らしくない発言に、香穂子が眉をひそめ、怪訝な顔をする。
そんな彼女の手を握る手に、月森はほんの少しだけ、力を込めてみる。
「だから、君の歩調に合わせて歩くことも。……結局は、全て俺の我侭なんだ」
家路は、永遠に続くわけじゃなくて。
徒歩で通学出来る場所に家のある自分達が別れる場所も、悔しいくらい、簡単に。呆気無く訪れる。
だから、月森は香穂子の歩調に合わせて歩く。
周りを見ないで、ただ、ひたすらに目的地だけを見据えて歩いてきた自分は、香穂子の歩み方にいろんな事を教えられる。
景色を見ること。
季節の変化を感じること。
脇目も振らず歩いていた頃には目にすることもなかった。
たくさんの、幸せの欠片。
そうして、少しだけコツのいる、香穂子の歩調に合わせた歩き方は。
小さな小さな、月森の願いを叶えてくれる。
君の歩みに合わせた速度で。ゆっくり、ゆっくり家路を辿って。
もう少し、あと少し。
君といる時間が、長く続きますように。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:07.6.14】
誰だよ、この乙女思考(笑)書き慣れてくると、キャラが結構渡瀬の思惑とは違うことを言い出したりやり出したりするので楽しいです(笑)いや、話の内容は初めからこうだと決めてますけど、モノローグとかで思いがけないことをぽつりと(笑)
ちなみに、一人っ子が基本的に自分本意で我侭だと言うのは、一人っ子な渡瀬が親によく言われることですよ。ついでにマイペースだとも。
もちろん、一人っ子な方が皆が皆そうだというわけではないので、その点はご了承くださいませ。


