人通りの少ない往来を、彼女に歩調に合わせた、のんびりとしたスピードで肩を並べて歩く。これが夏場なら、まだ太陽の光が地上へと届く時間帯なのに、徐々に冷え込みを増してきたこの季節には、もう辺りは夜の帳が下りていて。
冴えた月の光が降り注いで、微かでいて濃い影の色を地面に映す。その月を仰いで、香穂子は白く浮き上がる溜息と共に、そんなことを呟いた。
「そうだな。……寒くはないか?」
隣を歩く月森が、そんな香穂子の何気ない言葉に頷きながら、さりげなく香穂子を気遣う。すぐに月森のその意図に気付く香穂子は、ぱちりと一つ大きな瞬きをして、それからその瞳を嬉しそうに細める。
「うん、大丈夫。……ちょっと寒いくらいの方が、月の光が綺麗だし」
科学的なことは分からないし、気の持ち様次第なのだということも知っている。
だが香穂子が思うに、冷えてぴんと張り詰める空気の中で降り注ぐ月の光が、一番透明で、綺麗な光のような気がする。
濁りのない、純粋な。
香穂子達が暮らす街は、どちらかと言えば都会的で、大気も水も、決して穢れなきものなどではないのだろうけど。
それでも、冴えた空気に降る月光を、綺麗だと思う香穂子のこの気持ちは、とても純粋なものだと思う。
「名は体を表すって言うけど、そう言えば月森くんに似てるよね」
かつん、と跳ねるように靴音を響かせて、香穂子が笑顔で月森の顔を覗き込む。一瞬、会話の流れを見失った月森が、虚を突かれたように軽く目を見開いた。
「俺が?……何に」
「つきのひかり」
薄くリップグロスを塗った香穂子の、柔らかそうな唇が、一言一言を丁寧に形作って声にする。
少し落ち着いた、柔らかなアルトの声。
香穂子の言葉に、反射的に頭上の輝く月を見上げた月森の目に差し込んだ柔らかな月の光は、例えば、それを形にするのであれば、月森の心の中では、今、香穂子が発した彼女の声で形作られていて。
……綺麗な光を放っていた。
自らは光を放たない。
受け止めて、照り返して降る光。
「……そうだな。似ているのかもしれない」
「えっ!」
素直にそう呟いた月森に、意外な言葉を聞いたというように、香穂子が驚いたような声を上げて、月森を振り仰ぐ。そんな彼女を、月森は苦笑して見つめ返した。
「驚かなくてもいいだろう。そもそもは君が言い出したことなのに」
「えっと……それはそうなんだけど。こういう感覚的なことにあっさり納得されるとは思わなくて」
むしろ乙女思考と笑われると思ったのに、と香穂子が溜息をつく。
楽しそうに笑ったり。
がっかりしたり、拗ねてみたり。
驚いたり、はしゃいだり。
彼女の表情の変化は、いつだって目まぐるしくて、目が離せない。
それは、満ちて欠ける月の姿によく似ているけれど。
彼女という存在は、きっと、違うもの。
「月は、自ら光を放たない。太陽の光を反射しているだけだ」
「あ、うん。だから月って欠けるんでしょう? 月と太陽の間にある、地球の影で」
「……光を降らすのは、太陽の光があってこそ、だ」
歩む足をぴたりと止めて、月森が呟く。
つられるように、数歩先に出て足を止めた香穂子が、怪訝に月森を振り返る。
その香穂子の視線の先で。
月森は微笑う。
その背に月の淡い光を浴びて。
「……だから、君が言うように、俺は月に似ているのかもしれない」
自らは光を放たなくても。
たった一人では、どんな表情の変化も、感情の揺れもなくても。
自ら光を放つ存在が側にあれば。
その光を受け止めて、返すことができる。
欠けて。……そして、満ちて。
優しい光を放つ。
「君という太陽が、俺にあれば」
冴えた月光の下、冷えていく大気。
冷たく体温を失った月森の両手は、その手に取った香穂子の両手の温もりに、熱を移される。
彼女の明るさが。
温もりが。
そして、優しさが。
それを与えられる月森という存在を、ほんの少しだけ、優しいものにする。
熱を持たなくても、冷えた大気を暖めることはなくても。
柔らかな光を降り注ぐ。
「……私、月森くんの太陽に、なれる?」
嬉しそうに笑う香穂子が、今更尋ねたって仕方のない、答えの分かり切ったことを問いかけるから。
周りは薄暗くても、まだ帰るには少しだけ早い時間帯を、遠回りして帰ろうと月森は告げる。
柔らかな月光を浴びながら。
他愛無い話をして。
月の輝く夜を、二人で並んで、手を繋いで歩いて行こう。
そうするうちに、もしかしたら他の誰かにはあまり意味がないのかもしれない、彼女との些細な会話は、きっと充分に、月森の心を満たしていく。
彼女という光の欠片で、月森の心が満ちていく。
そして、いつかその光が。
自分自身を輝かせる、優しい光になる。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.8.17】
月日に関しては一度自分が書くべき二人の姿を思い切り見失いましたので(苦笑)、ちょっとリハビリ中だったり。
こういう雰囲気って個人的に書き易い。書きやすいものを書くことがリハビリになるといいなと思います。


