見た目にはまだ制服姿で、校内にいる時と何も変わりはしないのに、そうして一歩学校から踏み出した途端、不思議と少しだけ解放された気分になる。そんなふうに、わずかに楽になった心でふと視線を上げてみると、目の前には茜色の夕焼け空。
薄く棚引いた雲にその向こうの茜色が透けて、柔らかなグラデーションを作る。
それは、眩しくて、穏やかな。
そして、暖かな色だった。
そんなことを考える自分には、確実に香穂子の影響が息づいているのだと月森は思う。
香穂子が側にいなかった頃の自分は、ただそこに在るだけのものに、何か特別な感慨を抱くことはなくて。たとえ、目の前に広がる風景がどれだけ素晴らしいものであったのだとしても。
それを素晴らしいと思う気持ちすら、いつの間にか凍らせていたのだから。
月森は、隣を歩く香穂子に視線を向ける。
月森に比べれば、香穂子は饒舌な方だと思うが、それでも最近、2人で一緒に過ごす時に、必要以上の言葉がいらない。何か話題を探さなければと焦っていた頃が懐かしくすら思えるが、それでも今2人の間に横たわる優しい沈黙は、2人が2人でいることの時間を積み重ねて来た、その成果だろう。
(……ああ、そうか)
「……だからなのか」
ぽつりと月森が漏らした一言に、香穂子が軽く瞬きをして視線を向けた。
「何が、だから?」
どうしたの?とか余分な疑問は投げかけず、香穂子は答えが欲しい確実な問だけを口にする。
それもまた、2人が2人で過ごして来た時間が繰り返されて来たことの、その証。
「……夕焼けの、色が」
月森も、必要な言葉だけを口にする。
以前は、ヴァイオリンとも、日常生活とも関係のない、こんなささやかな心の動きを、いちいち彼女に教えることには抵抗があった。
疎ましく思われはしないか。嫌な気持ちにさせやしないか。そんな不安が、いつも心の片隅にあって。
それは、香穂子に嫌われることを厭うが故の月森本人にすらどうにもできない弱さだったのだが、これもまた一つの成長と言えるのだろうか。今ならもう、そんな些細なことで香穂子が自分を嫌ったりするわけがないと、ちゃんと理解が出来るのだ。
「暖かい色だと思った。……どうしてそう思うのか、その理由が今、ふと思い当たったんだ」
『暖かな』夕焼けの空。
夕暮れは晴れた日にいつも、何度だって繰り返されるけど。
その空を見上げる時全てが、心地よい気候だとは限らない。
肌が汗ばむ陽射しの強さだったり。
息が白く煙る冷たい大気だったり。
それなのに、いつだってこうして帰り際に、2人で見つめる夕焼け空は『暖かい』と月森は思う。
漠然とした感覚的な温度ではなく。
確かに『このくらいだ』と実感出来る暖かさで。
夕焼けの赤を頬に映し、真直ぐに月森を見つめて答えを待つ香穂子の視線を真直ぐに受け止めて。
月森は目をわずかに細め、甘く微笑って。
香穂子と繋いでいた片方の手を、香穂子の目線の高さに持ち上げてみせた。
「俺にとって、夕焼けの暖かさは、きっと、この暖かさなんだ」
冷たい月森の指に、温もりを移し与える。
とても柔らかくて。
とても優しいその温度。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:06.7.22】
珍しく、曲でも何でもなく、とある漫画を思い出しながら書いていた話。
月森は、香穂子と付き合うまでは夕焼けに何かを感じることそのものがなさそうな気がするんだけど(苦笑)、香穂子から与えられる影響は、そんな無駄なようでいて、必要なものであって欲しいと思います。


