胸の中に、大事に大事に閉じ込めて。
決して、誰にも見せないように。
心の奥深い場所に、封印する。
その行為を責める気になれなかったのは。
とても非道いことをしているはずの、彼の方こそが。
ひどく傷付いた眼をしていたからなのかもしれない。
「……何、してるの?」
正門に近い敷地の一角に備え付けられたゴミ箱の前に、月森が立っていた。まるで仇敵を見るような険しい視線でその中を見つめていた月森が、一つ瞬きをして、香穂子の声に振り返った。
「……君か」
感慨なさげに呟き、月森は一歩その場から後ずさる。
「俺の用事は終わった。ゴミ箱を使いたい用件があるのなら、俺に構わず使っていい」
「え、いや、あの。……ちょっと待って!」
そのまま、躊躇うことなくその場を後にしようとする月森の背中と、ゴミ箱の中身を見比べながら、香穂子は咄嗟に月森を呼び止める。
紙屑とか、購買のパンの袋とか。見慣れている、学校生活ならではで積み重なるゴミの上に、無造作に投げ捨てられたもの。……それは、一通の手紙。
淡い花柄をあしらったパステルピンクの封筒は、あまりに月森にそぐわないものだったから。……これは。
「こんなの、こんな場所に捨てちゃったら……!」
「……構わない」
冷たい声で、月森は即答する。咄嗟に返す言葉が思い浮かばずに、香穂子は息を呑んだ。
真直ぐに、冷静に香穂子を見つめる月森の視線に、心のどこかですうっと血の気が引くのが分かった。
「だって、これ……ラブレターじゃないの? 月森くんのこと、好きな子の気持ち、一杯詰まってるはずなのに、こんな……」
「その手紙は、俺宛のものじゃない」
香穂子の批判に怯むことなく、月森はきっぱりと言い捨てた。
あまりにも端的な言葉に、香穂子は驚いて目を見開く。その視線の先で、少しだけ頬を歪めた月森の表情が。
……とても、哀しくて。
「読んでもらうだけでいい、読み終えたら捨ててもいいと言われたから、目を通して、捨てた。……俺に課せられた責任は、それを読むこと。ただ、それだけだ。何故なら、それは俺に宛てられたものじゃない。……書いた人間が勝手に作り上げた偶像に宛てられたものだ」
語る表情は動くことがなくて。
声はいつも通りに冷静な、感情のこもらないものであったけれど。
ただ、その視線だけが。
……ほんの少し、とても、とても注意して見ていなければ見落としてしまうくらいに。
傷付いていた。
「そこに書いてあることは何一つ、本当の俺に向けての評価ではない。……だから、本来俺が受け取ることも読むこともお門違いだ。だが、受け取ってしまった以上、その責任は果たす。……それ以上のことはしない」
月森の言葉に、香穂子は次第に俯いていく。
自分の足下に視線が落ちて、爪先を見つめて。視界に入らない香穂子より少し高い位置で、月森が小さな溜息をついた。
「……もう、いいだろうか?」
少しだけ、困ったような溜息混じりの声に。
香穂子はそれ以上言える言葉もなく、ただ小さく頷いた。
結局、捨てられた手紙をどうすることも出来ず、香穂子はせめてと思い、ゴミ箱の一番奥深くにその手紙を隠してきた。
拾い上げることも、月森の手に返すことも出来ないけれど、確かにそれは誰かの誰かへと向けられた想いを綴ったものだから。
届くことはなくても、せめて他の誰の目にも映らないように。
……それが、どんな人物に向けられたものであっても。
きっと贈った側にとっては、とても大切な想いであったろうと香穂子は思うから。
せめてそれが、軽はずみに他の誰かに曝け出されることがないように。
そうして、誰かが誰かを想う行為を、奥深くへ隠してしまうのは。
きっと他の誰のためでもなく、香穂子自身のためだったのだと、香穂子は思う。
香穂子は本当の月森を知らない。
香穂子が知るのは、ただ、あの誰にも汚されない、高い場所を目指していく、綺麗な、綺麗なヴァイオリンの音色だけ。
あの音色に惹かれる気持ち。
……その音を生み出す人物へ焦がれる気持ち。
それが、今の香穂子の中に宿っている淡い淡い想いだけれど。
それすらも、彼は否定してしまうのかもしれない。
(だって、本当の月森くんのことなんて、私は知らないから)
月森のことを理解なんてできないのに、彼を想うこの気持ちは。
月森にとって、あの手紙に綴られた想いと同じように。
ただ、切り捨てるだけのものでしかないのかもしれない。
(だから、閉じ込めてしまわなくちゃ)
誰の目にも触れないように。
この想いをかわすこともあしらうことも出来ずに、ただ受け止めるか、それとも切り捨てるかしか出来ない、あの不器用な青年の。
負担になってしまわないために。
香穂子に必要なのは、あのヴァイオリン。
その技術、その音色。……ただ、それだけでいい。
自分にも月森にも、そう思わせていなければならない。
「……だって、側にいたい……」
ぽつりと呟いた自分の声が、痛くて。
香穂子は唇を噛んで涙を堪える。
本当の月森のことを、知り合って間もない自分は、理解してなどいないけど。
だけど、知りたい。
知りたいから、側にいたい。
あのヴァイオリンを聴きたい。
話がしたい。
ただ、側にいて。
真直ぐに前を、遠い場所を見ている横顔を、見ていたい。
生まれたての曖昧な想いを告げることは。
全てを切り捨てられることでしかないのなら。
自分の気持ちに嘘をついて、彼への想いを全て封印してしまっても。
そうすることで、近付くことを許されるのならば。
自分は、そうする。
たとえそれが、どんなに辛くても。
高い場所を目指す、繊細なヴァイオリンの音色に。
その音のどこかに見隠れする、ほんの少しの不器用な暖かさに。
一瞬で奪われた心。
だけど、それが彼にとって。
あの捨てられてしまった、誰かが作り上げた偶像へと向けた想い。
本当の自分を理解されない痛みを、彼に感じさせるもの。
……彼を傷つけるものと、同じになってしまうのならば。
今、彼と一緒にヴァイオリンを弾くことを許された機会を、失いたくないから。
……例えばそこに、香穂子が願う感情がないのだとしても。
側にいることを許された機会を失いたくないから。
大事に大事に、閉じ込める。
誰の目にも触れないように封印する。
いつか、閉じ込めることに耐え切れないくらいに育ってしまった彼への想いが溢れ出て。
どうしても、告げずにはいられない日が来るまでは。
「だから……側にいてもいいよね?」
答えの返らない問。
それでも、言葉にすることで少しだけ罪悪感は緩むから。
月森本人には絶対に言えない言葉を、彼のいない場所で香穂子は呟く。
閉じ込めるから。
貴方がそれを望むなら、決して貴方に惹かれている自分を貴方に気付かせたりはしないから。
だから、せめて居させて欲しい。
貴方の奏でる音色が、きちんと伝わる位置に。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:07.1.14】
創作人気投票に御協力頂いた方からのリクエスト、「月森に片思い中の香穂子 切ない系。できればラブレターポイ捨てイベントを絡めて」をお送り致しました。
月森のこの行動って賛否両論のような気もするんですが、自分ではない架空の自分像に宛てられた手紙を一応律儀に読んで、どうしていいのか分からなくて、捨てていいと言われた通り捨ててみる月森って、やっぱりヘタレでぶきっちょだな!と思ってしまう渡瀬のフィルターは問題有りでしょうか!(笑)


