孤独の王

月森→日野
リクエスト作品

 また、音が畏縮している。

 そのことに気付いて、月森は弦から弓を離す。ふと途切れた旋律に、伴奏をしていた級友も驚いたように鍵盤から指先を上げる。
 いつものように、「まだ弾けていない」と端的に言いかけて。
 ふと、月森は開きかけた唇を閉じた。数日前、ある人物に忠告されたことが脳裏をよぎった。
(お前が無駄だ無駄だと切り捨ててることが、案外他の人間にとっちゃ必要なものだってこともあるんだよ)
(騙されたと思って、無駄に思えることを言ってみろよ。嘘みたいに上手くいくから)
 告げた人物は、あまり月森が快くは思っていない人物で。
 別にその忠告に乗せられる気も、受け入れる気もないのだけれど。
 あの時も自分が言葉足らずだったために、相手を怒らせてしまったのだということは何となく分かっていたから、月森は試しにその忠告に従ってみる。
「……伴奏だからといって、変に俺を立てる必要はないと思う。君が前に出ていないと、上手く響かない部分もあるし……。まだ畏縮している部分があるように思えるから、できればもう少し、自己主張をしてくれないか。君は、それが出来ると思うから」
 言葉を選んで、丁寧に。
 自分の考えに相応しい意見を告げてみた。
 伴奏をしてくれている級友は少しだけ驚いたように目を見開いて顔を上げ。
 それから、うん、わかったと素直に頷いた。
 ……本当に、呆気無い。
「……少し休憩をしようか。無理に続けても行き詰まるだけかもしれない」
 忠告者の思惑通りに事が進むのは、ありがたいのだけれど不本意だ。自分が気分転換をしたくて、月森は伴奏者にそう告げると、練習室の窓に歩み寄り、それを押し開いた。柔らかな初夏の風が入り込む。
「……本当に、言われた通りだ」
 少しだけ感嘆の色を含め、ぽつりと伴奏者が呟く。月森はその独り言を聞き逃さず、怪訝な表情で彼を振り返る。
 ……土浦は、この人物にまで自分に与えたのと同じ忠告をしていたのだろうか。
 呆然と自分を見る月森の視線に気付き、級友ははにかんだように笑った。
「普通科の……日野さんが。この間君ともめた時に、声をかけてくれて」
 そうして、彼女は言ったのだと言う。
(月森くん……本当は、後悔していると思うの)

 自分が、決定的に言葉が足りないというのは、いつもどこか意識の隅にある。
 もう少し、余分な一言を付け加えれば。不必要に思える態度で覆い隠していれば、きっと難無く通り過ぎることが出来たはずの局面があったはずで。
 だけど、自分はそれが上手くない。……どうにかしなければとは思っていても、そう出来ないが故の今の自分の姿だ。
 そうやって、ある意味誤魔化すことを知らないままに生きてきた自分は、おそらくは、本当の自分とは少しだけ一線を画する形で周りの人間達に認識されているのだと思う。
 つまりは、「冷たい」だとか「厳しい」だとかいう印象で。
 感情すらも持ち合わせていないかのように、周りは自分という人間を見ているのだろう。
 確かに、それは誤解で。
 傷付いたり、悔やんだりする心もちゃんと自分は持っているのだけれど。
 誤解をするならしたらいいと思う。誰も彼もに好かれたくて、自分は生きているのではないから。
 ヴァイオリンを弾いて。生きて。そして、死んでいく。……たった独りで。
 自分は、きっとそれだけの人生で構わない。
 ……そう、思っているのに。

(おせっかい、だな)
 級友と別れて、一人家路を辿りながら、月森は日野香穂子の事を思う。
 土浦の忠告は、おそらく自分と級友との諍いを見てしまい、更に翌日月森に偶然会ったからこそ、元来の面倒見の良さから……考えてみれば、彼はいつも誰かの面倒を見ている気がする。日野しかり、先輩の火原しかり……放っておけなかったのだろうと予測はつくのだが。
 確かにあの時、日野も土浦と一緒にいた。
 だが、自分とは会話もしなかったし、翌日も会うことはなかった。自分の目の届かない場所でまで世話を焼かずに、所詮は他人事だと放っておけばいいのに。
 ……彼女自身、今は人の世話を焼いている余裕はないはずなのに。
(何故、気付いたんだろう)
 言葉を交わすことも、視線を合わせることもなかったのに。
 何故、彼を引き止めなかった……引き止めることができなかった自分が、とても、とても後悔していたことを。

「あれ?月森くん?」
 考えを巡らせながら歩いていると、脇の方から驚いたような声が上がる。普段よりも少しだけ高いトーンの、柔らかな声。
 月森も驚いて、そちらの方へ視線を向ける。その声を知っていた。たった今、月森の思考を埋め尽くしていた、その彼女の声。
「今帰り?偶然だね」
 屈託なく笑う彼女の片手には、今も変わらずヴァイオリンケースが握られている。
 第3セレクションの際に弦が切れ、どうしても使えなくなったと言っていたヴァイオリンの代わりに彼女の手に収まったもの。詳しい事情はよく分からないが、ヴァイオリンを変えて以来、彼女の演奏のレベルは明らかに下がっている。
 それでも、月森に「今はヴァイオリンを弾くことが楽しい」と告げた彼女の真摯さを、不思議と月森は信じていた。レベルがどうであろうと、彼女は彼女なりに、真剣にコンクールに向き合っているのだと。
 だからこそ、彼女は月森の世話を焼いている暇はないと思うのだ。
 彼女の方が、余程。
(そう……君の方が余程大変な状況にあるというのに)

 おせっかいだと思う。
 彼女も土浦も。
 今は学内音楽コンクールの最中で。
 自分達はライバルで。
 決して楽なコンクールじゃない。実力は伯仲しているし、外野は不必要にうるさいし。
 自分一人を支えていくのが、彼女達だって精一杯のはずなのに。
 どうして。
(どうして、君達はそんなに他人に優しくなれるんだろう……)
 だからこそ。
 誰にも優しくなれない自分なんか、放っておいても構わないのに。

「……君は、おせっかいだな」
 何となく、肩を並べて同じ方角へと歩き出しながら、ぽつりと月森は呟く。きょとんとした顔で香穂子が月森の横顔を見上げた。
「俺の世話を焼いている暇なんて、ないだろうに。もっと他に、自分のためにやるべきことがあるだろう」
「自分のため……?」
 月森の言葉を、訝しげに繰り返して、香穂子は少しだけ首を傾げる。
「……もしかして、月森くんの伴奏してる子にいろいろ言ったこと? やだ、私がおせっかい焼いたのってばれちゃってるんだ」
 嫌だ、と言う割には彼女はにこにこと嬉しそうに笑っている。……香穂子のことを話し合うくらいには自分と彼とに交流があることを、喜んでいるのかもしれない。
「あ、でもね、月森くん。巡り巡って、それは結局私のためのことなんだよね」
 空を睨むように眉根を寄せて見つめながら、香穂子が言った。
「……いろんなことあったよね、セレクションで。いいことも、嫌なことも」
 1セレでは香穂子が伴奏者にドタキャンされ。
 2セレでは、月森が控え室のロッカーに閉じ込められ。
 3セレでは、ヴァイオリンの弦が切れた香穂子の演奏が、崩れてしまった。
「だから、せめて最終セレクションくらい、楽しみたいよ。誰も嫌な思いしないで、今回のコンクール、本当に楽しかったって。参加して良かったって笑いたい」
 そのために、最終セレクションで、手加減なし、本気の。
 ……2セレの後、誰もいない講堂で弾いた『あの』月森のヴァイオリンが聴きたいのだと、そう言って。
 香穂子は、笑った。

 自分のためだと言いながら。
 君はいつだって、俺を引き上げる。
 自分では自覚していなかった、2セレの後の、あの演奏。
 ……母が「安心した」と言ってくれた、あの演奏。
 それだって、あの時君がああ言ってくれなければ、生まれるはずのなかったものだ。

(月森くんの演奏に、意味がないなんて。……そんなこと、言わないでよ……!)

 誰の助けもいらないと言いながら。
 本当は、自分は。
 沢山の助けを借りながら、こうしてここに立っているんだ。
 たった独りで。
 孤独なつもりで。
 何者にも媚びない、王のような心持ちで。
 そうして、見ない振りをしていただけだ。
 誰かの助けなしには、独りでは立てない自分自身を。

 いつだって。
 君はそれを俺に突き付ける。
 ただ弱く、不器用な人間でしかない自分を、明確にする。
 本当は、それは不快なものであるべきはずなのに。
 ……どうして、こんなふうに。

「……ねえ、月森くん?」
 ふと香穂子が月森を呼ぶ。
 黙ったまま香穂子を見下ろすと、穏やかな色を讃えた彼女の素直な眼差が、月森を見つめていた。
「もしかして、だから『おせっかいは迷惑だ』って言うの?」
 質問の意図が読めない。月森は眉根を寄せた。
「何が、『だから』だ?」
「あ、ほら。まず自分自身のことをやるべきなのにっていう、アレ」
 数分前、他でもない自分の唇から漏れた言葉だから、月森は頷く。
「そうだ」
「そっかあ。……だったら、月森くんは、本当は優しい人なんだね」
「……」
 月森は、絶句する。
 どういう思考回路でそういう結論を導き出すのか、全く持って理解出来ない。
 どう曲解すれば、こんな自分が『優しい』という結論に至るのか。

 そう。
 ……本当に『優しい』というのは……。

「あのね、月森くん」
 月森の戸惑いを見透かしたように、香穂子がまるで内緒話をするように指先を唇に当てて、ひそめた声で言った。
「本当に『優しくない』人ならね。『おせっかい』も利用しちゃうんだよ」

 少なくとも、自分に降りかかる問題を棚に上げて、人の世話を焼いた人間を「君にそんな暇はないはずだろう」と叱ってくれたりはしない。
 自分に使うべき時間を別の誰かに割いて、その誰かに良い結果をもたらしてしまった事実を『馬鹿なこと』だと嘲笑い、そして、その『良い結果』を搾取するだけだろう。

「だから、月森くんは優しいの。ものすごく分かりにくいけど」
 一応最後にそう付け加えて、香穂子は何故か、ひどく嬉しそうに笑う。不思議そうにそんな彼女を月森が見つめる。
「……何がそんなに嬉しい?」
「嬉しい……そう、うん。嬉しいな」
 自分ではよく分からないままに笑っていたらしい。月森の問いかけに、香穂子は改めて自分の心を確認したようで、ひとりで納得して、大きく頷いた。
「あの……私が憧れる、大好きなヴァイオリンを弾く人が。優しい人でいてくれることが、嬉しいよ」
 屈託なく、そう言った香穂子に。
 月森は、自分の頬が急激に熱を持っていくのを感じる。


 たった独りでいることが、いつだって当たり前で。
 自分はそんなふうに孤独でも構わないと思っていた。
 他の何にも、誰にも媚びない。縋らない。
 そんな、たった独りの、唯一絶対の王であればよかった。
 だけど、本当は。
 ……自分は、寂しかったんだろうか。
 いつでも、誰かに、自分という存在を認めて欲しかったんだろうか。
 そうでなければ。
 きっと、こんなに香穂子の言葉は、自分の胸には響かない。

(優しいのは、君だろう)
 自分の境遇を顧みず、いつも他の誰かのことばかりを気遣って。
 ……ずっと、誰にも言えずに何かを悩んでいたくせに。
 ずっと、独りで悔やんでいたくせに。
 それを、彼女は自分自身で吹っ切るまで、その奥底を誰にも見せなかった。

(……俺は、優しくなれるだろうか)

 今、初めて。
 月森はそんなことを思う。
 優しくなりたいと思う。
 優しくしてやりたいと思う。
 こんな自分に優しくしてくれる、目の前の存在に。

 不器用な自分は、まだ不特定多数の誰かに優しくするなんて、随分と至難の業だとは思うのだけれど。
 それでも、そんな分かりにくい自分の持つ優しさを。
 正しく『優しさ』だと理解してくれる、彼女と一緒にいられるのなら。

 もしかしたら、自分は。
 不器用さ故に自分の心情を理解されないと思い込んでいた、そんな諦めにも似た孤独感を。
 もう二度と、感じずに済むのかもしれない。

 この、不器用な自分を、それでも懸命に理解しようとしてくれる。
 この暖かい存在の側でなら。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:07.7.15】

漫画展開萌え(萌え?)故に浮かんできた創作。
無理矢理に月日に変換しちゃう辺りが月森ストと言いますか(笑)本当は伴奏くんとのやり取りを長くして、香穂子が一切出て来ない話を最初は考えていたのですが、やっぱり香穂子が出ないとな~と、香穂子とのやり取りをメインにしてみました。
漫画のエピソードを混ぜるのは賛否両論かなとは思いつつ、脳内整理ができた渡瀬は満足です。

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