03.君の素足

月森×日野

 お互いに海は好きな方だが、泳ぐという選択肢は最初から含まれていない。
 夏と言えば海だよね! と言う彼女の言葉に応じて、休日の気分転換に過ごす場所を海に決めたけれど、待ち合わせ場所に現れた彼女が、特に打合せもしていなかったのに、水着を持ってこなかったことに月森は思わず笑う。
「君は、泳ぎたいんじゃないのか?」
「月森くんは、泳がないよね?」
 月森の問に、香穂子が間髪入れずに尋ね返す。その迫力に押されつつ、小さく頷くと、香穂子は屈託なく笑って首を傾げた。
「だったらいいよ。二人で波打ち際歩こう?」
 泳ぎたくなったら、女の子組でプールにでも行って来るから御心配なく、と香穂子は言ったが、自分がいない場所で彼女が水着姿を誰かに晒す、となれば、それはそれで何だか複雑な気持ちになる月森だった。

「……さすがに多いね」
 若干げんなりとした声で、香穂子が呟く。
 炎天下で焼けた砂の上を歩くのは楽しいものではないし、少し陽射しが落ち着いた遅い時間に着けるよう狙って来たつもりだが、夕暮れの気配が忍び寄る砂浜は、まだ海水浴目的の人々で賑わっていた。
「それでも、少しは減っているだろうか。……シーズン中である以上、ある程度は我慢しなければならないだろうな」
 こちらも、人込みは基本的に苦手な月森が、諦めたように呟く。
 泳ぐことが目的ではない自分たちは、シーズンオフを狙って海を訪れる方が理にかなってはいるのだが、今回の目的は『夏の想い出作り』であるのだから、多少自分達の思惑通りにいかないことがあっても仕方がない。
「あ、でも砂浜は歩きやすくなってるよ」
 そそくさとサンダルを脱いで、足の裏で砂の温度を確かめた香穂子が嬉しそうに呟く。
「ちょっと、水に足付けて来ようと思うんだけど、月森くんは?」
「俺はいい。……怪我をしないように、気を付けて」
 はあい、といい返事をして、香穂子が波打ち際まで走っていく。持ち主に置いていかれた小さなサンダルを、月森が仕方なさそうに指先に引っ掛けて拾い上げた。

 少し離れた波打ち際で、香穂子が寄せては返す波に一喜一憂して、楽しそうにはしゃいでいる。同じように振る舞えればいいのかもしれないが、彼女のように無邪気にはしゃぐことは難しいだろうと分かっているから、ただ微笑ましい気持ちで月森は遠目に香穂子を見つめている。
 自分が特に何をしていなくても、ただ彼女が幸せそうに、楽しそうに笑っているだけで、自分も幸せな気持ちになるから不思議だった。
 返す波を蹴って、追って。そうして遊んでいた香穂子が、ふと困ったように動きを止める。何だろうと見つめている月森の視線の先で、香穂子が思い切ったように両手で着ていたワンピースの裾を抱えて、よいしょと持ち上げた。
「香……っ!」
 反射的に大声で叫びそうになって、月森は咄嗟に片手で自分の口元を塞ぐ。一瞬の月森の声にすぐに気付いた香穂子が、月森を振り返る。走りにくそうに砂を蹴りつつ、急いで月森の元へ戻って来た。
「今、呼んだよね? どうかした?」
「……俺は、どうもしないが」
 歯切れ悪く、月森が呟く。視線のやり場に困って、月森は意味なく足元の砂浜を見つめた。
「……その。いきなり君が裾を持ち上げたから」
「あ、うん。結構波が強くてね。水飛沫がかかるから」
 それが? と香穂子は首を傾げる。
 月森は、言えずにただ口籠る。
 増々困ったように、香穂子が眉間に皺を寄せた。
 じいっと自分を見つめてくる香穂子の視線に、誤魔化せないのだと月森は気付く。
「……その。君の」
「……うん?」
「君の、素足が」
 他の人達にも見えるから、と。
 熱くなる頬をどうすることも出来ずに、視線を反らしたままの月森が小さな声で呟いた。

「……ご、ごめんなさい!」
 恥じ入った香穂子が慌てて裾を離した。
「いや、謝ることじゃ……。俺の方こそ、すまない。せっかく楽しんでいたのに」
 白く、すらりと伸びた細い脚に一瞬で目を奪われたのは、決して香穂子の所為ではなくて。
 そういう意識でしか彼女を見つめることが出来ない、自分の邪さ故なのだと、月森は思う。
「……あのね、月森くん」
 恥ずかしがって俯いていた香穂子が、ふと思い直したように、上目遣いに月森を見上げる。片手を伸ばして、月森のシャツの袖を掴んだ香穂子が、にっこりと笑った。
「月森くんが、一緒にいてくれたら。大丈夫だと思うよ?」
「……え?」
 戸惑う月森に頓着せず、香穂子は月森の手の中にあった自分のサンダルを奪い取り、強くはない力……それでも抗えない力で、月森の袖を引っ張った。
「月森くんが側にいて、守ってくれれば大丈夫だよ」

 ……本当は、月森は香穂子を何かから守る力なんて、持ち合わせていなくて。
 彼女の方も、守られることなんて決して望みはしないのだろうけれど。
 それでも彼女のその言葉が、一緒に波打ち際を歩きたいという、ささやかな我侭なのだと気付いたから。

「……ああ、分かった。だが、裾を持ち上げる高さには注意してくれ」
 諦めたように言った月森に、また香穂子が「はあい」と片手を挙げて、いい返事をする。適わないな、と苦笑いをして、月森は自分が履いていたスニーカーと靴下とを剥ぎ取った。
 片手に靴を抱えて、裸足のまま、月森は香穂子が待つ波打ち際まで歩き出す。
 彼女と同じようにジーンズの裾を持ち上げるなんて真似は出来ないだろうから、寄せて返す波に濡れて、後で散々なことになるんだろうと分かっていながら。
 それでも彼女と肩を並べて、素足で波打ち際を歩く穏やかな一時に、濡れたジーンズの不快感は跡形もなく消え去ってしまうのだろうと。
 そんなことを、月森は思った。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.7.11/加筆修正:2010.7】

夏が似合わない男だな、月森(笑)
夏休みに行楽地なんて、人の多いところには絶対行かなそうですが(笑)まあ、香穂子次第なのかもですね。結構流されやすい子ですから(笑)

Page Top