夏の陽射しは強く、空は綺麗な濃い青色で、白い雲がやけに目に眩しい。照り返しで焼けたアスファルトから、ゆらゆらと陽炎が立ち上る。うんざりするような夏の風景だけれど、近くに潮騒が聴こえるだけで、何となく許せるような気持ちになるから不思議だ。
「志水くんは、海って好き?」
「海……ですか?」
香穂子の何気ない問に、志水は生真面目に首を傾げて考え込む。しばらくの沈黙の後、「そうですね、嫌いじゃないです」と小さく笑った。
「波の音は心地いい……と言うか、何だか落ち着きます。ずっと聴いていても飽きないくらい」
「あ、成る程。そっか」
単純に遊び場としての海の印象を聞いたつもりだったのだが、泳ぐとか遊ぶという対象ではなくて、志水にとっては海はやはり音楽としての一部なのかもしれない。納得する香穂子に、不思議そうに志水が首を傾げた。
「あと、色も好きです。……うみのいろ」
今日、香穂子が誘ってくれたギャラリーは、海を題材にする有名な画家の個展だった。展示されていた海の絵の、深い海の底のコバルトブルーを思い返して、志水は柔らかく微笑んだ。
「……うん、そうだね。綺麗な海の碧」
香穂子が頷く。
あの絵のような色はないだろうけど、本物を見てみようかと、香穂子は堤防へ出る道を指先で指し示した。
「うわ、結構波が高いね」
天気は快晴だが、風が強い。それに煽られる波もテトラポットにぶつかって、香穂子達が佇む場所まで波の飛沫を届かせる。
「どこか、天気が悪いのかな。台風の情報ってなかったよね?」
「……ええと。……はい、僕は、知りません」
朝食を取りながら叔母と見ていた天気予報を思い出しながら、志水が頷く。気をつけないとね、と香穂子が呟いた。
「波に攫われないように」
「……攫われますか?」
「え、うん。……いや? 分からないんだけど、波が高いから」
何が起こるか、分からないから。
そう告げた、香穂子の真後ろで。
高く跳ねる、波の飛沫。
「……危ない、香穂先輩」
間延びした志水の指摘は、一歩遅かった。
心の準備をする間もなく、大量の水の塊が、二人の頭上に降り注ぐ。
「うわ!?」
香穂子の悲鳴が上がる。びしょ濡れ、とまでは行かないが、結構な量の海水を浴びた香穂子の髪から、ぽたぽたと雫が落ちた。
「……本当に」
何かが起きましたね。
感心したように、志水がそう呟いた。
「もう、びっくりしたあ。冗談のつもりだったのに、まさか、突然水を被るなんて」
思わず笑い出す香穂子が、ふるふると頭を振って、髪にまとわりつく雫を払う。
夏の陽光を反射する雫が。
香穂子の赤味がかった髪を滑る水滴が。
……綺麗な色をしているな、と。
志水は香穂子を見つめながら、ぼんやりと考えた。
「志水くんは、大丈夫? 濡れなかった?」
「はい、僕はあまり。……香穂先輩は、大丈夫ですか?」
「うん、服は無事だし。この天気だから、きっと歩いているうちに乾いちゃうよ」
ハンカチで出来うる限り水気を拭き取った香穂子が、屈託なく笑う。じゃあ、行きましょうかと呟く志水が、そっと香穂子に片手を差し出した。
戸惑って首を傾げる香穂子に、志水は優しく笑う。
「……本当に何が起こるか分からないから。……先輩が、攫われないように」
志水の言葉に、香穂子は一瞬虚を突かれて。
苦笑いしながら、それでも志水の願い通り、しっかりと手を繋ぐ。
また次の場所へと、二人は肩を並べて歩き出した。
背中に潮騒が追って来る音を聴きながら、志水は今日見つけた綺麗なものを思い返す。
深い海の色に彩られた絵画と。
はっきりとした境界線を持つ、空と雲の色。
そして、太陽の光を反射する。
きらきらと輝く飛沫を弾く、香穂子の濡れた髪の色。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.7.11/加筆修正:2010.7】
波打ち際は、思わぬ危険で一杯です(笑)
志水っぽいお話が書けたかなと、個人的には気に入ってます。志水創作では感覚的なものを書きたいなと常日頃思っていたりするもので。


