吉羅と過ごす休日は、いつだって部屋を飛び出した場所だ。おかげで香穂子はいまだに吉羅の自室の内部を見たことがない。
それでも二人で過ごす時間が、少し距離のある高級なレストランだったり、吉羅が運転する快適なイタリア車の中だったりするので、あまり外に出ている印象がないのも事実だが。
「たまには君のリクエストを聞こう」と言ってくれた吉羅に、シートベルトを装着しながら「海が見たいです、海!」と即答したら、予想していた通り渋い顔をされた。だからアウトドア派って言い切れないんですよ、と香穂子が口を尖らせて呟くと、吉羅は増々不愉快そうに表情を歪めるのだった。
浜辺からは少し距離がある駐車スペースに車を置いて、香穂子と吉羅はシーズン前の人の気配のない波打ち際を歩く。
楽しげに、軽やかに歩く香穂子と打って変わって、幾分吉羅の足取りは重いが、それでも香穂子の我侭を聞いてくれたことに、香穂子は素直に感謝した。
「……付き合わせちゃって、ごめんなさい」
「君の気分転換になるのなら、それでいい。……無論、頻繁には御免被るがね」
溜息混じりに呟きながらも、吉羅は穏やかに微笑む。
日頃、あまり我侭を言わない香穂子だけに、たまに口にする無邪気な要求くらいは聞いてやりたい気持ちになるのだ。
「あ、サクラ貝だ。可愛い」
興味深げに足元を眺めながら、砂を踏んでいた香穂子が、弾んだ声で言い、スカートに砂が付くのも気にせずにその場に座り込む。躊躇いなく手を伸ばし、落ちている貝を拾いかけて。
ふと、何かを思い出したようにその手を止めた。
「……拾わないのか?」
訝しんだ吉羅が、しゃがみ込んだ香穂子を覗き込むようにして尋ねると、苦笑しながら香穂子がそんな吉羅を見上げた。
「以前、月森くんに怒られたことがあるんです。『無闇に拾うな、怪我をしたらどうするんだ。ヴァイオリニストなら、もう少し指を大事にしろ』って。」
「成程、彼らしい意見だな」
だが、彼女が自分ではない誰かの意見を心に止め置くのは、正直あまり気分のいいものじゃない。
「……拾うくらい、構わないだろう。要は君自身の自己管理の問題だ。指を怪我するほど乱雑に扱わなければいいだけの話だ」
吉羅がこの言葉を発するに到るまでの、原因となる本心は、随分と大人気ない嫉妬心だと自覚してはいたのだが、香穂子はそう深読みをすることもなく、そうですね、と笑って頷く。
慎重に、慎重に、指先を伸ばして。
香穂子の綺麗な細い指先が、壊れそうな薄いサクラ貝のひとひらを摘み取った。
「今日は、ありがとうございました」
薄暗くなった空に、仄かに浮かび上がる街灯の明かりの下で、香穂子は丁寧に頭を下げて、吉羅の車を降りた。
「また、海、見に行きましょうね」
御満悦な、満面の笑みの香穂子に「気が向いたらね」と、吉羅は素っ気無い返事を告げる。
「そうだ。吉羅さん、手を出して下さい」
突然思い出したように、香穂子が言った。
じっと吉羅を見つめている香穂子に戸惑いながら、吉羅がハンドルを握っていない片手を差し出すと、薄いティッシュに包んだものを、香穂子がそっとその掌の上に乗せた。
「記念、ということで」
じゃあ、おやすみなさい、と香穂子は笑顔で片手をひらりと振って、自宅の門扉の向こうへ消えていく。しばらく彼女が消えた方角と、自分の掌の上を見比べて、吉羅はそっと、香穂子から受け取った今日の記念品というものを、掌の上で開いてみた。
「……なかなか、可愛らしい真似をしてくれる」
薄いティッシュに包まれていたものは、小さな小さな、サクラ色の貝殻。
指を傷つけるかもしれない危険を侵しても、彼女が拾い上げて、吉羅に与えてくれたものは、淡く色付く想い出の欠片。
……こんな優しい色の欠片が、自分の心の中に落とされるであるならば。
(また、海へ出かけることも、悪くはない)
良い様に、自分の日常が彼女の色に染められていくのを理解しながら。
それもまた、必然であるのだと。
掌のサクラ貝を壊さないように大事に握り締めて。
吉羅は目を閉じて、小さく笑った。
あとがきという名の言い訳 【執筆日:09.7.11/加筆修正:2010.7】
コルダの無印~2fまでは、夏が似合わないキャラクターが多過ぎて困ります(笑)
まあ、沖縄辺りで沖縄的なTシャツと短パンとサンダルとグラサンで、沖縄を満喫する理事も捨て難いですが(何の話だ?)


