箒星別館

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在るべき場所へ 第1話

『暁のヨナ』ハク×ヨナ

「ユンくん、わりぃが少しばかり小遣いくれ」

 天幕を覗き込むなり、開口一番そう告げたハクに、食事の準備をするために荷物の中から調理道具一式を取り出していたユンはその手を止め、訝しげな表情でハクを仰ぎ見た。
「はあ? 何なの、いきなり」
「少しの間、俺と姫さんとで別行動する。……その間の軍資金、貸してくれねえか」
 全くもって、突然すぎる申し出だ。
 眉間に深く皺を刻んだまま、ユンはじいっとハクの表情を観察する。
 ……剣呑とした様子も、焦燥感もない。特にのっぴきならない有事が起こってこんなことを言い出したわけではなさそうだ。
 緊急事態でもないのに突然の別行動……普通なら、回答を導き出すには材料が足りないところだが、幸か不幸かユンは頭の回転が速く、聡い少年だった。
(そういや、ヨナが最近よく愚痴ってたっけ)
 恋仲になれば、本当は何かが変わるものなのかしら。
 溜息交じりにそう呟くヨナの表情は冴えず、ああこの主従は想いを通わせても、いまだ何も変わっていないのかとユンは感じていた。
 恋仲の男女が二人だけで別行動……ようやく、この変なところで妙に律儀な雷獣が、その気になったというわけだ。
「貸してっつってもさ、……雷獣、返済の当てがあるわけ?」
 呆れた口調でユンが尋ねると、不自然極まりなくハクは中空に視線を泳がせた。ないんだな、とユンは心の中で嘆息する。
(まあ、そりゃそうだよね)
 多少の小遣い程度ならば、金を持たせるのに不安を覚える連中(主に世間知らずの姫や白や青の龍達だ)以外には持たせているが、この旅の一行の財布の紐を握っているのはユン自身だ。ユンが一番物価の相場も熟知しているし、値切るのも慣れているため、買い出しの際はユンが適切に采配を振るう。
 よって、当然のことながら仲間たちの懐具合もユンはちゃんと把握していた。
 それこそどこかでこっそり一仕事して来ない限り、ハクに借りた金を支払う余裕はないはずだ。
「……まあ、それを知ってて返せって迫るほど、俺も無粋じゃないけどね」
 苦笑交じりに溜息を付き、自分の荷物の中からユンは小さな巾着袋を取り出す。旅に必要な資金とは別に、万が一のために少しずつ溜めていたへそくりだ。
「これ、あげる。返さなくていいから」
 ハクの胸元に袋ごと押し付け、ユンが告げる。反射的に受け取ったハクが、戸惑った様子で袋とユンとを見比べた。
「おい、ユン。これは……」
「気にしなくていいよ。あんたとヨナが恋仲になったって聞いた日から、そのうち何かでお祝いしてあげるつもりで溜めてただけだし。市であんたが頑張って客引きしてくれた、そのお駄賃も入ってるしね」
 ほんのりと頬を染め、照れくささを誤魔化すためか、そっけなくユンが呟いた。
「……悪いな、ユン」
「おや、ようやく覚悟を決めたってわけ?」
 感謝を込め、礼を述べるハクの背後から、その肩にのしっと顎を乗せてきた人物の鳩尾に、ハクは躊躇いなく肘の一振りを食らわせた。
 遠慮のない一撃を食らったジェハが鳩尾を押さえつつその場にうずくまる。
「ああ悪いな、背後から近づく敵に対しての条件反射ってヤツでな」
「それにしてもちょっとは手加減してくれないかな、ハク……」
 全く悪びれないハクに、小さく呻きながらジェハが抗議する。
 気を取り直して、冷めた目で自分を見下ろすハクを、にやにやと笑いながら見つめ返した。
「それよりも、やっと一線を超える覚悟を決めたってわけだ。恋仲になってから、何か月だっけ? 随分と長い葛藤だったね」
「うるせえな、タレ目。お前にゃ関係ねえだろ」
「いやいや、関係なくはないさ。君は大事な仲間だし、何よりもヨナちゃんは僕たちの大事な主だ。その大事な主を悩ませる君については、本当のところいろいろと苦情を申し立てたくもあったしね」
 ジェハの言葉にハクは一瞬目を細め、そしてジェハから視線を反らす。地雷だったかとジェハは心の中で呟いた。
 ……例えかつてはこの国の姫だったと言われても、ジェハ達にとっては出逢った時からヨナはただの少女でしかなかった。
 もちろん彼女が自分たちの中にある龍の血の導きで出会った宿命の主であることに変わりはなく、そういう意味でヨナは自分たちにとっては誰よりも幸せになって欲しい、特別な存在だ。
 そして、本人に告げることはないが、彼女を幸せにする存在として、少なくともジェハはこの目の前の男を認めている。自分の積み上げてきたものをかなぐり捨て、命がけでヨナを守ってきた者として、ハクは彼女と共に幸福になるべき人物だった。
 だからこそ、この数か月間の煮え切らないハクの態度がジェハは腹立たしかった。ヨナの想いがどこに向いているのか分からなかった頃と違い、今は間違いなくヨナの心はハクのものだ。
 ハクと共に生きることを他でもないヨナ自身が望んでいたというのに、彼女を手に入れるのに躊躇し続ける目の前の男が、ジェハには理解できなかった。
(僕の知らない二人で積み上げてきた過去が、邪魔をしていたのかもしれないけれどさ)
 かつてハクはヨナのことを『預かり物だ』と言っていた。
 誰からの預かり物なのか、その時のハクは語りはしなかったが、おそらくは本来の彼の主となるべき人物なのだろうとジェハは予測する。……だがその人物は、今はもうこの世には存在しないのだ。
 そしてハクが過去に、ヨナと共にあることを唯一許した人物。……彼にヨナを返すことを今更ハクが望むとは思えない。
 ならば、いったいハクは誰に対して義理立てをしていたというのか。
 そこには、複雑な心情があるのだろうと推測はする。だが、ヨナを苦しめてまでこだわるべき葛藤だとは、ジェハには思えない。だからこそ、ヨナが時折淋しそうにしているのを目にするたび、ジェハは腹立たしかった。
(君がいらないなら、僕がもらうのに)
 苛立ちの中でそんな想いは何度も浮かんできたけれど、ジェハが口にすることはなかった。無理矢理に奪ってもそれがヨナの幸せにはならないことは分かっていたし、葛藤はあれど、ハクがヨナを欲していることも充分に理解していた。それが分かる程度には、良くも悪くもジェハは大人だった。
「……いいのか、タレ目」
「ん?」
「お前らも」
 ハクは天幕の周囲で聞き耳を立てている他の仲間にも声をかける。物陰から成り行きを見守っていた四龍達が、もぞもぞとバツが悪そうに顔を覗かせた。

「……俺が、姫さんをもらっても、構わねえのか」

 静かな問いに、四龍たちは各々顔を見合わせる。真っ先に頷いたのは、シンアだった。
「ハクも……ヨナも、幸せになれる。多分、それが一番いい」
「そうだな、シンア。何よりも姫様が幸福でいらっしゃることこそが、我らの悲願だ」
 したり顔で、うんうんとキジャが首肯する。
 ゼノはどこか嬉しそうに、穏やかに微笑んだ。
「……兄ちゃん、ようやくこっちに足が付いたな」
「こっち?」
「そう。こっち。……兄ちゃんはこっちにいても、いつもあっち側の世界を見てた。ようやくあっちに背を向けて、こっちを見ていられるようになった。娘さんと共に生きることで、あっちを覗き込まなくなるなら、その方がいい」
「……お前の言うことは、よく分からない」
 眉間に皺を寄せて微かに首を横に振るハクに、ゼノは目を細める。
「つまり、兄ちゃんは娘さんと一緒にいればいい。そして二人が幸せになれば、四龍も一緒に幸せになる。……そういうこと」
「……そうか」
 よく分からないながらも、ハクは頷く。それぞれの想いがどうであれ、仲間が自分とヨナのことを祝福してくれているのだというのだけはきちんと伝わった。
「……タレ目」
「僕は何も言うことはないよ。皆が僕の気持ちは代弁してくれたから。……まあ、良ければ戻ってきてから蜜月の様子を事細か」
 皆まで言い切れず、再度ジェハが呻き声をあげて地面に膝をつく。容赦なくジェハの腹に柄の部分をめり込ませた大刀を一振りし、ハクはそれをジェハに差し出した。
「しばらく預かっといてくれ。これを持って歩けば、どうしても目立つしな」
「構わないけど……いいの?」
 むせながらも、ジェハはハクの得物を受け取る。ずしりと重みのあるそれは、ハクの大事な相棒のはずだ。
「空都の兵士どもに団体で出くわさない限り、必要ねえだろ。絡んでくる町のゴロツキぐらいなら、それがなくても問題ないからな」
 両手の重みは、信頼の強さでもある。軽く笑い、ジェハはその大刀をしっかりと抱え込んだ。
「了解。大事に預かっておくよ」
「ユン、ここなら神官サマの谷が近い。しばらく戻っててもいいぞ」
「そうだね。イクスがのたれ死んでないか気になるし。どうせ今は目的地もないし、そうさせてもらおうかな」
 ユンの「気が済んだら迎えに来てよ」という言葉に、ハクは苦笑して頷いた。
「……ああ、そうだ」
 ふと、何かを思いついたようにユンが再び自分の荷物の中を漁る。何事かと様子を伺っているハクに、やがて取り出した小さなものをユンが差し出した。
「……もう少し落ち着いたら、仲間内でちゃんとお祝いしようと思ってたんだけど。とりあえず」
 ハクが広げた掌の上に、しゃらんと乾いた音を立てて、煌びやかなものが落ちる。
 光に反射する色とりどりの石を組み合わせた、婚礼衣装に着けるための首飾りだった。
「ヨナが城にいた頃持ってたものに比べたら質素だろうし、拾った石、皆で磨いて作ったものだから元手もかかってないけど、まあ、気持ちはこもってるから。よかったら、ヨナにあげて」
「これ、ユンが作ったのか。……相変わらず、スゲエな」
 手放しの褒め言葉に、ユンが胸を張る。
「俺を誰だと思ってんの。天才美少年だよ?」
「それは関係ねえだろ」
 小さく笑い、ハクは首飾りを握り締め、ポンとユンの頭に掌を乗せる。「ありがとな」と呟き、そのまま背を向けて歩き出した。
 遠ざかるハクの背中を、仲間たちはそれぞれの想いを込めて見送る。

 ハクへの想い、そしてヨナへの想い。
 その胸に去来するものは、二人への関わり次第でそれぞれに違うものではあっても。

 苦難続きの二人の未来が、ただ幸福であるように。
 そう祈る気持ちは、ユンも四龍たちも、皆が同じものであるはずだった。

2015.02.22 執  筆
2015.08.15 加筆修正


【あとがきという名の言い訳】
二人が一線を超えるなら、なし崩し的にというよりは、それなりに環境をお膳立てして……
とか考えてたら出来上がった話です。まずは四龍とユンお母さん(笑)にごあいさつ。
何か隠しておいても、ハクはともかくヨナの態度でジェハは気付くだろうし、
そもそもあれだけ四六時中一緒にいたら、皆分かるだろうから、
いっそハクは宣言しちゃうかもなあとか思います。
そして、それなりに皆祝福してくれると思います。
でもきっとシンアはよく分かっていなくて、キジャは深くは考えていない(笑)
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