箒星別館

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在るべき場所へ 第2話

『暁のヨナ』ハク×ヨナ

 ヨナが待つ場所へハクが戻ると、先ほどの岩場に腰かけたまま、ヨナは無防備に両の足をぷらぷらと揺らしていた。
 遠目にその姿を見つめ、ハクは微かに笑う。……城を出て以来、ヨナのこんな他愛ない仕草を見るのは久しぶりだった。
 争いの中に身を置くうちに、ヨナはどんどん大人びていった。きらきらと無邪気に輝いていた瞳は凪いだ水面のように静けさに満ち、柔らかく曲線を描き、仄かな桜色に染まっていた頬は、わずかに細り精悍さを持った。その髪も四肢も……荒れて傷だらけになった今の容姿からは、これが蝶よ花よと育てられた深窓の姫君だとは、誰も思わないだろう。
 それでも、ハクにとってヨナは変わらず守るべき主で、ただひたすらにその幸せを願い続けた、誰よりも大切な……愛おしい存在であることに変わりはなかった。
「姫さん」
 いつも通りに声をかけると、ふとこちらに視線を向けたヨナが、その瞳に抗議の色を浮かべて頬を膨らませる。何で怒られてんだ?と考えかけて、ハクは先程ヨナと交わした会話を思い出した。
「……ヨナ」
 呼び直すと、嬉しそうにヨナは笑い、岩から降りてハクへと歩み寄ってきた。
「ユンたち、何か言っていた?」
 背の高いハクを仰ぎ見て、ヨナが尋ねる。ハクは答えずにユンから預かってきた手作りの首飾りを、そのままヨナの首にかけてやった。
「なあに? これ」
 目を丸くしたヨナが、小さな石たちに手を触れて不思議そうに首を傾げた。
「ユンくんたちからのお祝いの品だそうですよ。……城にいた頃持っていたものと比べたら、見劣りするだろうけどって」
 丁寧に磨かれた色とりどりの石の細工物。それは、確かに城にいた頃にヨナを彩っていた宝飾品と比べれば、素朴で簡素なものだ。
 それでもヨナの髪の色によく映える仲間たちからの祝いの品は、ヨナにとてもよく似合っていた。
「……ふふ、さすがユンね。とても綺麗で、可愛いわ」
 胸元の石を指先で撫で、嬉しそうにヨナが微笑む。その笑顔が見れただけで、ハクは皆に感謝したい気分だった。
 ……勿論、それだけではなく、あの仲間たちにはいろいろと感謝すべき事柄はあるのだが。
「……じゃあ、行きましょうか」
「行く? どこへ?」
 ハクがヨナの手を取り、促す。本来の目的を忘れかけていたヨナが小さく首を傾げた。
「覚悟、決めていただけたんじゃなかったんですかね? 姫さん。しばらくは俺と二人きりで過ごしていただけるんでしょう?」
 ハクが呆れたように笑う。一瞬虚を突かれたヨナが、そのからかうような口調に負けないように、精一杯強がってハクを睨み付ける。
「き、決めてるわよ! 行き先が分からないから聞いてみただけでしょう!?」
 頬を染めて、ヨナはぎゅうっとハクの手を握り返した。
 「では」と言い置いて、ハクがゆっくりと歩き出す。その手に導かれるようにして、二人は森から離れ、街へと出発した。



「目立たないようにしっかり布被っててくださいよ」
 賑やかな街に入り、ヨナの肩口に引っかけていた、目立つ赤い髪を覆うための布を頭上まで引き上げ、耳元で小さくハクが注意を促す。神妙な顔で頷いたヨナが、襟元でしっかりとその布を握り締めた。
 この街は空都との結びつきが強い。小さくはあるが人の行き交いが多く、程よく栄えている。これまでは外見的にも少し異質で目立つ四龍やヨナを連れては、なかなか訪れることが出来なかった場所だ。
 宿を探し、人込みの中を迷いなく縫うように進んでいくハクを、ヨナが隣からそっと仰ぎ見た。
「ハク、この街に詳しいの?」
「詳しいってほどじゃないですよ。風牙から空都に向かう時、物質調達によく立ち寄ってた場所なんで。……まあ、好き勝手遊び回ると宿に戻らなくなるからって、ほとんどジジイに宿の中に押し込められてましたけど」
 今回の場合はそれが幸いしたともいえる。おかげでほどほどの土地勘があり、知り合いは全く存在しない。身分を隠して潜伏するには最適の街だ。
 宿で食事を取ると割高になるからと、ハクは屋台で食料や飲料を買い込んだ。ヨナはハクに手を繋がれたまま、そんなハクに付いて街の中を歩いていく。
……そう言えば、以前客引きをした市でもこんなふうにハクと共にいろいろな店先をひやかして歩いた。それがとても楽しかったのは、世間知らずなヨナにとっては物珍しいものばかりだったからだと思っていたけれど。
(もしかしたら、ハクと一緒だったからかしら)
 今更、そんなことを思いつく。
 ハクとはずっと一緒に育ってきたけれど、あんなふうに二人だけで出かけたりすることはそれまでなかった。
 ……そういえば、あの時は買い物のおまけという名目で、ハクが自分ではない別の女性を抱擁するのを目の当たりにした後だった。胸に不意に浮かんできた不快感が、ハクの「一緒に見て回りませんか」の一言ですうっと消えていったことを思い出した。
(……本当は、私はもう、あの頃からハクのことが好きだったのかしら)
 考えながら、ヨナはハクの手を解く。訝しげに振り返るハクの視線を感じながら、ハクの大きな掌に自分の掌を合わせ、その指と指の間に自分の指を絡めてみる。伺うように上目遣いにハクを見上げると、ハクは何故か腹立たしげに舌打ちし、ヨナから視線を反らす。
 ……それが、照れているからだと気が付いたのは、ハクの精悍な頬が赤く染まり、深く繋がれた指先が解かれることはなく……強く、握り返されたからだった。



 ヨナには分からない様々なものを買い込み、ハクはやがて街外れにある小さな宿を選び、一室を取った。ヨナを店主の記憶に留めないためか、受付から少し離れたところで待たされていたヨナの元に、ハクは上機嫌で戻って来る。どうやら、ほどほどに納得のいく値段の交渉が出来たようだ。
「風呂は共同になるそうなんで、先に入っておきましょうか」
 あてがわれた奥まった場所にある一室に入ったのは夕刻だった。旅人などが夕食後に宿に入るため、宿に人が増えるのはこの後だとハクは言う。風呂に入るにはヨナも髪を覆った布を取らねばならず、宿に泊まるような女性そのものが少ないとは言えど、人目に付く可能性は低い方がいい。納得して、ヨナは早めに風呂を済ませておくことにした。


「よかった、まだ私だけね」
 小さな露天の湯船に身を埋め、ヨナはほうっと安堵混じりの息を付いた。腕を伸ばし、肌を撫でると、小さな傷や痣が幾つも残っている。それは、ヨナが強くなるために支払った代償だ。
 城にいた頃に丁寧に手入れをしていた象牙の肌も、今は過酷な旅の中で陽に焼けてささくれ、荒れている。
 ……諸々の覚悟は決めたつもりでも、不安が尽きないのはヨナの女心だった。
「ハク……呆れたりしないかしら」
 色気がないだの、貧弱だの。元々、女らしさに欠けているとは散々ハクの口から言われ続けていた。打てば響く勢いで反論はしていたけれど、自分がお世辞にも艶やかだと言える容姿ではないことは、ヨナ自身にも分かっている。
 ただでさえそうなのに、この傷だらけの身体だ。ヨナ自身には勲章に思えていても、ハクがそうであるとは限らない……。
(……私は、不安なのね)
 負へと向きがちな思考に、ヨナは苦笑する。
 そう、ヨナは不安だった。
 ハクと結ばれることが不安なのではない。
 あれほどまでに、彼の自由を望んでいたはずなのに、結局はヨナはヨナ自身を持って、ハクを自分の元へ縛り付けようとしている……その事実が不安なのだ。

『あんたが俺をいらないんじゃないなら、今更俺を放り出さないで下さいよ』

 一度だけ、ヨナがハクに自由を与えようとしたことがある。
 だが、ハクはそう言ってヨナの傍にいることを望んでくれた。
 その望みは、ハクがヨナを愛しく想ってくれているからこそ……その事実を実感するには、まだヨナには時間が足りなかった。
 父の命令で、仕方なくハクは命がけでヨナを守っている……そう信じていた時間が、長かった分。

 ……どのくらい、不安だけが巡る思考で湯船につかっていたのかは分からない。やがて脱衣所に人の気配を感じ、ヨナは慌てて湯船から上がる。数人の、商人らしき婦人たちと入れ替わるように、湯気と手拭いで髪を隠したヨナは、入浴を終え、すっきりしない気持ちのまま、ハクの待つ部屋へ戻らざるを得なくなってしまった。

2015.02.28 執  筆
2015.08.15 加筆修正


【あとがきという名の言い訳】
すぐに宿に到着してあれこれってのも風情がないなあと、
ハクヨナデート部分を書いてみたものでした(笑)
急にほのぼのした雰囲気を挟み込んでしまいましたが、残り2話に突入するための
いい箸休めになったのではないかと勝手に思ってます。
ヨナの心情を若干書き込めたので、それはそれでよかったと思います。
本業(?)で男性キャラの視点ばっかで話書いてるせいか、
意外に女の子側の心情がおそろかになりがちなんですよ……。
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