見つからない探し物

My confidence mucic 第24話

「……月森くん?」
 屋上の柵に両腕を乗せて、そうっと下方を覗き込んでいた香穂子は、今し方土浦が立ち去ったばかりの屋上のドアが開く音を耳にし、土浦が何かを言い忘れたのだろうかと何気なく振り返る。ところが、そこにいたのは土浦ではなく、月森で。月森だと認識した途端、自分がさっき土浦に宣言したことを思い出した。

(月森くん以外、いらないの)

 今更ながら、なんて事を言ってしまったんだろうと、妙に恥ずかしくなった。血が昇って、頬が熱くなるのが分かる。思わず頬を掌で覆いながら、土浦が後々まであの言葉を気にしていないといいな、と願った。
 無意識に口から零れ落ちた言葉だから、それが自分の本心だということは、香穂子にも分かる。だけど、建て前のないむき出しの本音というものは、他人の目に晒すものではない。冷静になって思い返してみれば、恥ずかしいだけの代物だ。

「授業は?」
 表情を変えない月森が、淡々と香穂子に尋ねる。不真面目だと怒られるのかと、反射的に身を縮めた香穂子が、小さな声で「サボった……」と答えた。
「……すまない。怒るつもりは、なかったんだ」
 すぐに香穂子の怯えに気付いた月森が、少しだけ慌てたように呟いた。
「今、土浦とそこですれ違って。……君がいると、聞いていたし」
「あ……」
 そう言えば、月森はここに来た時に香穂子を見ても驚いた様子がなかった。土浦が立ち去ったのはほんの数分前だし、少し考えてみれば彼らが顔を合わせただろうことは簡単に想像がつく。
「……何か、話したのか? その……俺たちの事を」
 土浦は、初めから分かっていたと言った。香穂子を泣かすな、とも。幾ら月森がそういう人の感情の動きに疎いとは言え、彼女たちがここで何を話していたのか……それくらいの予測は出来る。
「月森くんと、何かあったのか?って聞かれたから。……付き合うことになった、って」
「……そう、か」
 俯く香穂子が、ぽつぽつと語る言葉に、想像以上に安堵している自分に、月森は気がつく。……彼女の口からはっきりと、「付き合っている」と言われることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
「ご、めんなさい……」
 黙り込んだ月森に、何を勘違いしたのか。
 香穂子は小さな声で、謝罪の言葉を口にした。
 え、と訝しんで月森が顔を上げると、その視線の先で、香穂子は制服のスカートの裾を、両手でぎゅっと掴んだ。
「勝手に、付き合ってるなんて、土浦くんに言っちゃって……ごめんなさい」
 頭を下げる香穂子の表情は、よく見えない。
 自分の、不足した言葉は、こんなふうに彼女に誤解を与えるのだと、月森は改めて実感する。……考えてみれば、今まで彼女との間で起こった色々なすれ違いは、全て自分の上手くない応対や、足りない言葉のせいだった気がしてしまう。
「……日野」
 できるだけ、穏やかに。
 優しく聞こえるように注意しながら。
 月森は、香穂子を呼ぶ。
「座って、話そう。落ち着いて」
 彼女に歩み寄り、その腕を掴んで。……こんなに細かったのだと改めて実感しながら、月森はベンチまで香穂子を引っ張って連れてくる。軽く肩を押して、彼女を先に座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。
「……怒ってはいないから。謝らなくていい」
 まずは、そう彼女に語りかける。俯いていた香穂子が、恐る恐る上目遣いに月森を見た。
「その……俺は、言葉が足りなくて。君を不安にさせることもあるかもしれないが。黙り込むのはどう答えていいか迷うからであって、怒っているわけではなくて……」
 言い訳を重ねながら、自分でも何を言っているのだろうと、内心月森は頭を抱える。きょとんとしてそんな月森を見ていた香穂子は、ふと安堵したように小さく笑った。
「……付き合ってるって、言っちゃってよかったんだ?」
「別に、嘘ではないだろう? それに、はっきり言ってくれたことは、……逆に、俺は嬉しい」
「うん……」
 頷いて、香穂子は少しだけ考え込むように空に視線を巡らせる。
「私も、私たちのことを何も知らない人に、『どういう関係なの?』って聞かれた時に、月森くんが私の事を『彼女だ』ってはっきり言ってくれたら、すごく嬉しい。……そんな感じ?」
 香穂子が小さく首を傾げて尋ねてくる。
 その可愛らしさに思わず微笑みながら、月森は頷いた。
「そんな感じだ」
「……そっかあ」
 同じだね、と。
 頬を桜色に染める香穂子が、幸せそうに笑う。
 ……その表情を、そういえば香穂子を自宅に呼ぶようになった頃に、自分はよく目にしていたのだと。
 突然、目が覚めるように月森は思い出した。


 あの頃はちょうど、彼女の事がよく分からなくなっていた頃だ。
 二人で過ごすことは心地よくて、楽しくて。
 ……こういう雰囲気は、一方通行の感情では作れないと思うから、彼女も同じように感じているのだろうと信じていたのに、いつの間にか、彼女はどこか自分に一線引くようになってしまって。
 こちらまで一緒に幸せになってしまうような嬉しそうな笑みは、確かにその後も繰り返し、見せてくれていたのに。
 それと同時に、辛そうな表情も見せるようになって。
 彼女の本心が、見えなくなった。
 自分と同じように、二人で過ごす時間に居心地のよさを感じていてくれているのか。
 それともただ、自分に合わせて、無理をして過ごさせているのか。
 ……分からなくなっていた。


 ふと、月森は片手を伸ばし、そっと香穂子の頬に触れてみる。
 びくんっと緊張したように身を震わせた香穂子が、ぱちぱちと何度も瞬きをして、驚いたように月森のことを見つめている。
 頬を赤く染め、今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情も。
 何気なく触れたり、優しい言葉をかける時に、よく見た表情なのだと思い出す。
 あの時は分からなかった彼女の本心が、今ならば……少しだけ、分かる。
「……本当に、君はずっと俺の事を好きでいてくれたんだな……」

 一方通行では作れない、優しく甘い、幸せな時間。
 だからこそ、月森が彼女に抱いていた想いも、ずっとずっと彼女と同じ強さ、色、温度だったはずなのに。
 月森は、それが『恋』というものだと知らなかったから。
 随分とその感情を見つけられないまま、長い長い回り道をしてしまった。
 そうして、その長い回り道の間に。
 自分は、どれほど彼女の事を傷付けて来たのだろう。

「ちょ……ちょっと!」
 慌てた様子の香穂子が、月森の掌から逃げて、ずるずるとベンチを後ずさる。すぐに限界が来て、ベンチの端から滑り落ちそうになるのを、すんでのところで踏み止まった。
 逃げられた月森が、ぽかんとしたまま香穂子の事を見つめる。
 ……月森に触れられるのが嫌だから、逃げ出したのではないと分かったのは。
 やっぱり彼女が、その柔らかな曲線を描く頬を綺麗な桜色に染めて。
 涙目で、月森を見つめるから。
「そういうこと言うのも、するのも、反則だから! 心臓、全然持たないんだから!」


 見つからなかった探し物を、探し出して手に取ってみれば。
 その形、色、薫り、……その存在全て。
 何故見つけることが出来なかったのかと呆れてしまうくらい、明確に『そこ』にある。

 ずっと、ずっと。
 彼女は月森を好きでいてくれた。
 月森のささやかな一挙一動を。
 意識していてくれた。

 そうして、月森も気付く。
 見つからなかった自分の『本心』という探し物を。
 ようやく探し当てた、今だから。

 そんなふうに、照れたり、恥じらったり。
 自分を意識してくれる彼女が。
 誰よりも。何よりも。
 とてつもなく、愛おしいということを。

「……君の、そういう態度も反則だと思うのだが」
「ええ?」
 どこが?と顔をしかめる香穂子に、ただ笑って。
 月森は小さな溜息をついて、晴れ渡る空を仰ぎ見る。

 可愛らしい彼女の反応を、もっといろいろ、見てみたいから。
 その掌を捕まえて、自分の近くへ引き寄せるのと。
 ……ずっと、呼びたいと願っていた下の名前を呼んでみるのと。
 どちらがより効果的なんだろうかと。

 究極の選択に、しばし迷ってみたりした。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:10.1.13】

連作なので、あとがきは最後の作品で!

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