瑠璃色

My confidence mucic 第33話

 家を出る直前、防寒の為のマフラーを首周りに巻きかけて、月森はふと手を止める。
 爽やかな空色を基調とした、アーガイルのマフラー。これは、香穂子のヴァイオリンを指導し始めてしばらく経った頃、香穂子から日頃のお礼にとプレゼントされたものだ。
 色も柄も、はっきりと彼女に自分の好みを教えたことはないのに、月森が自然と好ましいと思えるものだった。何故これを選んだのかと尋ねたら、彼女はふと空に視線を巡らせ、考え込んでしまった。
(うまく言えないけど……月森くんに似合うかなと思って)
 何となく、月森くんって青のイメージなんだよ、と。
 彼女ははにかんだように笑って、小さく首を傾げた。

 いよいよ、香穂子が参加するコンクールが明日に迫っている。
 今日は土曜日、明日は日曜日。……さすがに、緊張も最高潮だろう今日に逢うのは躊躇われていたのだが、「一人だと余計に緊張する……良ければ、一緒にいて」と若干青ざめた香穂子に昨日の帰り際、コートの袖を掴んで切実に訴えられ、月森はそれを承諾せざるを得なかった。
 確かに、出来上がりを確認すると言う意味合いでは、今日顔を合わせて、彼女の音を聴いていてやった方が、彼女は少なからずとも安心するのかもしれない。もちろん、月森の評価が明日のコンクールに何らかの影響を及ぼすことはないのだろうが、彼女のよく口にする「気持ちの問題」ということを考えれば、多少の慰めにはなるのかもしれないし。
 そんなことを考えながら香穂子との待ち合わせ場所に向かう途中、月森はふと、一件の店の前で足を止める。
 ウィンドウ越しに見える商品のディスプレイに目を止めて、その場で迷うように眉間に皺を寄せ、しばしの間立ち尽くす。何度か行きつ戻りつ、逡巡した後、月森は思い切ったようにその店のドアを押し開く。
 からん、と乾いたベルの音が響き、店の奥から女性店員が、「いらっしゃいませ」と高い声で月森を出迎えた。


「月森くんが遅れるって珍しいなあ……」
 待ち合わせ場所の臨海公演の入口で、低い柵にもたれかかるようにして月森を待っている香穂子が、はあ、と息を吐く。目に映る白い息、今日は朝から冷え込みが激しい。手袋をしていても指先が冷たくて、香穂子は持参した懐炉をハーフコートのポケットから取り出して、両手で握り締めた。
(月森くんの家にするべきだったのかなあ……)
 あまりの寒さにそんなことを考えるが、一瞬後、香穂子は思わずひとり赤くなって、ふるふると首を横に振る。
 付き合い始めて分かったことなのだが、月森はこうと決めてしまったら案外臆面がない。
 二人きりで、誰の目線もない場所で。今までとは違い、そういう状況で、自分達がどうなってしまうか分からない。
 もちろん、月森が香穂子の意志を無視するような真似はしないと信じているのだが、ここ最近の月森は、何だか香穂子の予想を軽く越えた行動をするから。
(……って、月森くんにも失礼だし、そもそもそういうことを考える私がどうなのよ……)
 期待してるみたいだ、と香穂子は思う。
 ……ぶっちゃけてみれば、そういうことなんだろうと思う。想いは漠然としているけれど、それでも香穂子は多分、月森にもっと近付きたい。
 だからきっと、必要以上に意識してしまう。
「香穂子」
「うわっ!」
 突然呼び掛けられて、香穂子は文字どおり飛び上がりそうな勢いでその場に身を起こす。きょとんとした月森が、そこに到着していた。
「遅くなって済まなかった。……どうかしたのか?」
「ううん、全く問題ないですよ!」
 香穂子は愛想笑いを浮かべつつ、ふるふるふる、とものすごい勢いで首を横に振った。


「一回通して聴いてもらった方がいいよね。で、まだ不十分なところチェックしてもらって……」
 木陰のベンチでヴァイオリンケースを開きつつ、これからの工程を確認する香穂子に、月森はベンチに座って一つ大きく息を付いた。
「練習を始める前に……香穂子」
「え? あ、うん。何?」
 月森に手招かれ、香穂子はケースからヴァイオリンを取り出すことを中断し、ぱたんと開きかけのケースを閉じる。月森の座っている目の前に立つと、月森が自分の荷物の中から取り出した何かを、香穂子にすっと差し出した。
「……貰ってくれないか。君さえ良ければ」
「えっ……」
 訳も分からず、香穂子は反射的にそれを受け取る。綺麗にラッピングされた縦長の軽い箱は、明らかに中身がアクセサリーなのだと分かった。
「あ、開けてもいい……?」
「ああ」
 興奮気味に香穂子が尋ねると、月森が頷く。「気に入らないかもしれないが」と自信なさげに前置きをした。
 できるだけ丁寧に包装を剥がし、香穂子はそっと箱を開ける。中に入っていたのは、小さなハート形のペンダント。落ち着いた深い瑠璃色の石は、ラピスラズリ。
「この間、コンクール用に用意したと言って見せてくれた空色のドレスに、合うのではないかと……正直、俺はこういうことに疎くて、これでいいのかどうかは分からないのだが」
 ふと足を止めたアクセサリーショップで、陳列されていた天然石のアクセサリー。ラピスラズリの石の効能は、「願いの実現化、幸運を呼ぶ」。
「俺は、会場には一緒にいてやれない。……俺がいなくても、少しでも君の助けになれたらと思って」
「でも、これって……結構お値段するんじゃ……?」
「君が想像するほどではないと思うが。だが、気になるならば一足早いクリスマスプレゼントだと思ってくれてもいい」
 月森の言葉に、香穂子は思わずぎゅっとそのペンダントを握り締める。
 月森がプレゼントをくれたことだけが嬉しいわけじゃない。
 月森が月森なりにいろんなことを考えて。香穂子の力になれるようにと、これを選んでくれたことが、何よりも……泣きたいくらいに、嬉しい。
「香穂子……!」
 珍しく、月森の慌てたような声が聞こえる。それは、香穂子の耳元、とても近い場所で。
 感激のあまり、香穂子は恥も外聞も忘れ、月森に抱きついてしまったのだ。
「ありがとう、月森くん。大事にする……ずっと、ずっと大事にするからね……!」
 ぎゅっと月森を抱き締めて、香穂子が涙声で呟く。しばらく香穂子の腕の中で緊張したように身を強張らせていた月森が、ふと苦笑する気配を見せ、力を抜いた。
 優しく、抱き返してくれる力強い腕。
「……明日は、自信を持って。君が弾きたい音楽を心ゆくまで弾いてくるといい。きっとそれで、君の望む結果が付いて来る」
「……うん」
 あやすように優しく香穂子の背中を叩く月森の掌の心地よさに、香穂子は目を閉じて身を委ねて、小さく頷いた。
「一番に、月森くんに連絡するから。待っててね」
「ああ、朗報を待っている」
 たとえ、結果が望むものではなかったとしても。
 力を出せたと彼女が明るい声で知らせてくれれば、それが月森に取っての朗報だ。
「でも、ラピスラズリの効能なんてよく知ってたね。月森くん、こういうこと全然興味なさそうなのに……」
 身を起こし、きょとんとした顔で月森を見つめた香穂子に、月森は一瞬だけバツが悪そうな顔をして、ふいと視線を反らす。
「ええ、何その態度? どういうこと?」
 不自然な月森の態度に食い下がろうとする香穂子に、月森は小さな溜息を付いて。
 彼女に向き直って、誤魔化すみたいに香穂子の唇を奪う。
 しばらくの間、はぐらかされそうな気配にじたばたと暴れていた香穂子は、やがて優しいキスの甘さに大人しくなって。
 そっと、月森のコートを指先で握り締めて、縋り付く。

 卑怯なのは分かっている。
 でも、彼女には恥ずかしくて、本当の事を言えない。


 いつか、彼女が言っていた。
 月森は青のイメージだと。
 そして、月森が彼女のイメージだと思う、暖かな赤の色。
 青の中に彼女の色が混ざり込んだ、深い深い瑠璃の色。
 それはまるで、今の自分のようだと思った。
 ……だから明日、たった一人で闘いの舞台に上がる香穂子の傍には、彼女の色に染まった自分自身が、ずっと一緒にいるのだと。
 ラピスラズリの意味など知らず、そんな馬鹿みたいな望みだけであの店に踏み入り、店員に説明された効能を、これ幸いに掲げてみただけなのだと。

 柄じゃなくて、恥ずかしくて。
 とても彼女には真実を告げられない。




あとがきという名の言い訳 【執筆日:10.2.7】

連作なので、あとがきは最後の作品で!

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